エバーグレーズの仕事
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「マージョリー・ストーンマン・ダグラス」の記事における「エバーグレーズの仕事」の解説
マージョリーは、1920年代にエバーグレーズに関わるようになった。それは、エバーグレーズ熱帯国立公園委員会の理事会に加わったときであり、アーネスト・F・コーが指導し、エバーグレーズに国立公園を作るというアイディアに注力していた。1960年代までに、エバーグレーズは、進歩と不動産および農業の開発という名の元にある大きな管理の誤りのために、今にも消失する危険性がある状態にあった。1969年、この時マージョリーは79歳だったが、環境団体の指導者達が関わることに勇気づけられ、エバーグレーズのビッグサイプレス地域に新しい空港を建設することに抗議するための、「エバーグレーズの友」を設立した。「環境に関心を持つのは女性の仕事です。家事を行う延長にあることです」と言って、その関与を正当付けた。 マージョリーは空港プロジェクトについて「数百の鳴り響く糾弾」を与えるために州内を旅し、3年の内に「エバーグレーズの友」の会員を3,000人に増やした。その自宅から大衆の情報操作をフルタイムで行い、空港の開発者や後援者からの敵意に遭った。彼らはマージョリーのことを「忌々しい蝶々を追う者」と呼んだ。しかし、リチャード・ニクソン大統領は、エバーグレーズの多くの監視団体の動きがあったために、空港プロジェクトの予算を取り消した。 マージョリーは社会運動を継続し、「保存は今や死語である...貴方達が得られなかったものを保存はできない」と宣言した後で、エバーグレーズの修復に関する活動に注力した。その批評は、エバーグレーズに最も損傷を与えていると彼女が考えた2つの団体に向けられた。ビッグ・シュガーと呼ばれるサトウキビ生産者の連合は、化学物質、人の排泄物、生ごみで汚れた水をくみ上げてオキーチョビー湖に戻して汚染させていると糾弾した。オキーチョビー湖は南フロリダ、マイアミ都市圏の飲料水源として機能していた。フロリダのサトウキビ農業を西インド諸島でのサトウキビ栽培と比較し、西インド諸島の場合は環境的に健全であり、土壌の栄養分にとって害の少ない長期の収穫サイクルで動かし、砂糖成分が多いので消費者には安価に提供できると主張した。 ビッグ・シュガーとは別に、アメリカ陸軍工兵司令部がエバーグレーズの自然の水流を逸らせることで危害を与えていることについても発言した。工兵司令部は1947年以降、エバーグレーズの水流を変えるために、1,400マイル (2,300 km) 以上の運河を建設していた。工兵司令部の元メンバーが運営していた中部および南フロリダ・プロジェクトがエバーグレーズを支援するよう提案されたとき、マージョリーは当初、縮小するエバーグレーズに必要とされる水を配ると約束していたので、それに承認を与えた。しかし、その実行の段階で、プロジェクトはエバーグレーズから水を抜き、サトウキビ農夫の灌漑需要に合わせて水を配るよう変更し、エバーグレーズ国立公園への給水をきっぱりと断ったので、土地の多くが認識できないまでになった。マージョリーは「何という嘘つきになろうとしていたことか!」と言って、運河掘りや水の配分の背後にある動機について、「彼らのママは明らかに泥のパイで遊ばせてくれなかったので、今やセメントで遊ぶことでそれを我々に押しつけている」と表現した。 マージョリーの講演会で、出席していたアメリカ陸軍工兵司令部の大佐が床にペンを落とした時に、工兵司令部の有害なやり方について話をしていた。大佐がペンを拾うのを止めた時に、マージョリーは話すのを止めて「大佐! 貴方はテーブルの下に這っていくことはできるが、私から逃れることはできない!」と言った。 1973年、エバーグレーズシティで開催されたエバーグレーズの保存に関する集会に出席しており、それを博物学者のジョン・ロスチャイルドが次のように観察していた。 ダグラス夫人は仲間の演説者の半分の大きさしかなく、大きな暗色の眼鏡を掛け、大きな柔らかい帽子と共に、彼女をイーゴリ・ストラヴィンスキーが演じたスカーレット・オハラのように見せていた。彼女が話すとき、誰もが蚊を叩くのを止めて、多かれ少なかれ静粛になった。彼女は我々全てに自然に対する我々の責任を思い出させ、私はそれ以外のことを覚えていない。彼女の声は1部屋の女性教師を宥める効果があった。その声調自体は地元の騒々しいイシガニ漁師を手なずけるようであり、さらに開発業者や両側の弁護士までにも響いた。私はそのときに蚊を恐れていなければと思った。 ...工兵司令部に対する要請は最終的に取り下げられた。彼女が話すのを聞いた我々にとって、それは驚くほどのことではなかった。 マージョリーは、聴衆によっては受け入れられないことがあった。東エバーグレーズというデイド郡郊外の排水に反対していた。デイド郡がエバーグレーズで建設許可を与えた後、その土地がそれまでと同じく洪水になった。家屋所有者が工兵司令部に地区の排水を要求したとき、マージョリーが唯一の反対者だった。1983年に行われた公聴会で、住民からブーイングや野次を受け、叫び声を上げられた。マージョリーは「それ以上大きくブーイングができないの?」と窘め、遂には彼らを笑わせた。「見なさい。私は年寄りのレディよ。私は8時からここにいるわ。今は11時。私は徹夜して、熱くなるのになれているわ。」と語った。後に「彼らは全て善良な精神の者達である。彼らはそこで出て行くべきではなかった」と記していた。デイド郡郡政委員会は最終的に排水を行わないことに決めた。 フロリダ州知事ロートン・チャイルズは彼女の影響力について、「マージョリーは我々の多くを起こして我々の生活の質をあげるために何をすべきか気づかせる最初の声である。彼女は環境運動のパイオニアではなく、預言者であり、我々の子供や孫のために環境を救えと呼びかけている」と言っていた。
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