「多磨」創刊から白秋の死とは? わかりやすく解説

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「多磨」創刊から白秋の死

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 01:48 UTC 版)

持田勝穂」の記事における「「多磨」創刊から白秋の死」の解説

1936年(昭和11年)31歳 - 「多磨」に作品発表山の歌が多い。「ロッククライミン(22首)」「伯耆大山(20首)」「雪線縦走雑報(19首)」等。8月、「多磨九州大会(柳川)に参加12月白秋より電報(15日)「キミケフカラ一ブダ シツカリヤレ ハク」。「多磨第一部会員となる。 1937年(昭和12年)32歳 - 「多磨」に作品発表年間183首に及ぶ。論文ロマンティシズムへの勝利」、論文島内六郎作品評」「歌壇に於ける映画言葉」、「晨朝歌話再読」。論文持田勝穂君の歩み島内八郎。「短歌研究」に作品発表、「(31首)」。8月次男生る名付親は白秋12日白秋から電報「モチダヨク ヨクハツバサ ニツポンクウグンダ ハクシウ」。 1938年(昭和13年)33歳 - 「多磨」に作品発表。「柳河の冬(17首)」他140首。論文心の花1月批評」「日本短歌八月批評」。「短歌研究」に作品岩登り(8首)」他15首。「新万葉集八巻」に作品6首。5月九州日報朝日歌壇選者となる。 1939年(昭和14年)34歳 - 「多磨」に作品発表。「醅(16首)」他152首。 論文第二部作品評」「『白南風初句ぎれ雑考」「歌壇作品評」「わが『秋の歌』を語る」「第二部作品評」。「短歌研究」に作品記章(5首)」「生態(5首)」。大日本歌人協会会員推薦さる。『多磨九大支部創立歌会出席(1月22日)、『九州日報』に火野葦平におくる歌五首(1月24日)、『東京朝日』に『新人歌人抄』(1月18日)。傷痍軍人福岡療養所発行再起」の短歌選者となる。糟屋農学校校歌制作。これ以降校歌、学園歌隊歌社歌市歌その他の制作夥しい数となり、そのうち90篇は1978年(昭和53年)11月刊行の『わが思い出カンタータ』(書院)に記録北原白秋指示により朝日新聞連載中火野葦平『花と兵隊主題歌田中善徳合作。また『麦と兵隊』の主題歌白秋補作1940年(昭和15年)35歳 - 『多磨』に作品発表。「征還/宮柊二火野葦平(17首)」他114首。論文黄玉地帯新作歌」「前月作品批評」「多磨事変歌」報告我が支部現勢将来」「多磨事変歌」。合評白南風研究第一回第三回』、論評水郷記・橋本政一追悼」。『短歌研究』に作品積雪登攀(27首)」、論文新万葉集山の歌(一)(二)』。『山と渓谷』に論文山岳短歌雑考(8月)」『玖珠川渓谷探勝(8月16日)』。福岡放送局(JOLK/現:NHKラジオ第1福岡)より『銃後女性短歌』を放送(12月5日)。 1941年(昭和16年)36歳 - 『多磨』に作品発表。「雲表(19首)」他106首。合評白南風研究第四回第十三回』。『多磨柳河大会印象記』。競泳作品周邊(35首)」所感文「勝鳥」、『兢詠批評』。『短歌研究』に作品海光(11首)」他8首。 九州日報新春(5首)』(1月5日)、九州日報募集短歌選者(1月)。『山と渓谷一月号に作品伯耆大山(5首)」、三月号に論文スキー短歌私観」。多磨九州短歌大会(3月16日)に参加糸島聯合青年団歌の選と補作(4月)、5月福岡地方文化聯盟結成6月情報部長となる。11月九州文化協会併合福岡文化聯盟改称礦業報国新聞歌壇選者(8月)。12月8日酒商廃業12月27日福岡日日新聞社(のち西日本新聞社)入社森脇憲三との出会い1942年(昭和17年)37歳 - 『多磨』に作品発表。「瀬高(10首)」他96首。論文拡大する短歌世界」「短歌初学講座」「多磨傷痍軍人詠」『尾形慶吾追悼記』「海図所感」「高志風格」。『短歌研究』に作品の光(5首)」。1月福岡日々新聞社編輯部に勤務する同月九州文学同人となり、1995年6月逝去までの53年その活動に当たる。『日本短歌』に作品「業餘即事(10首)」、6月九州文学」に『北原白秋(一)(二)(三)』 (六・七・八月号)。『日本文芸』に作品初夏戦況(10首)」(八月)。九州最高峰久住山登る10月6日北原白秋から電報「イノチノマツタケンヒトハオモシロシト タマヲアハレ ハクシウ」。白秋全書簡の最後となる。同月31日白秋病気篤く、妻ヱキの実家菓子老舗の加留部家特製カステラ持参して上京看護に当たる。白秋カステラ一口食して喜ぶ。11月2日北原白秋臨終侍する通夜葬儀列する5日多磨福岡支部白秋追悼歌会開催し報告12月20日柳河において白秋五十年祭同月、『多磨白秋追悼号に『御臨終侍す』、『短歌研究』に白秋追悼歌「通夜(5首)」。

※この「「多磨」創刊から白秋の死」の解説は、「持田勝穂」の解説の一部です。
「「多磨」創刊から白秋の死」を含む「持田勝穂」の記事については、「持田勝穂」の概要を参照ください。

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