「多磨」創刊から白秋の死
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「持田勝穂」の記事における「「多磨」創刊から白秋の死」の解説
1936年(昭和11年)31歳 - 「多磨」に作品発表、山の歌が多い。「ロッククライミン(22首)」「伯耆大山(20首)」「雪線縦走雑報(19首)」等。8月、「多磨」九州大会(柳川)に参加。12月、白秋より電報(15日)「キミケフカラ一ブダ シツカリヤレ ハク」。「多磨」第一部会員となる。 1937年(昭和12年)32歳 - 「多磨」に作品発表、年間183首に及ぶ。論文「ロマンティシズムへの勝利」、論文「島内六郎氏作品評」「歌壇に於ける映画の言葉」、「晨朝歌話・再読」。論文「持田勝穂君の歩み」島内八郎。「短歌研究」に作品発表、「鰯(31首)」。8月、次男翼生る。名付親は白秋。12日、白秋から電報「モチダヨク ヨクハツバサ ニツポンクウグンダ ハクシウ」。 1938年(昭和13年)33歳 - 「多磨」に作品発表。「柳河の冬(17首)」他140首。論文「心の花1月号批評」「日本短歌八月号批評」。「短歌研究」に作品「岩登り(8首)」他15首。「新万葉集八巻」に作品6首。5月、九州日報朝日歌壇の選者となる。 1939年(昭和14年)34歳 - 「多磨」に作品発表。「醅(16首)」他152首。 論文「第二部作品評」「『白南風』初句ぎれ雑考」「歌壇作品評」「わが『秋の歌』を語る」「第二部作品評」。「短歌研究」に作品「記章(5首)」「生態(5首)」。大日本歌人協会会員に推薦さる。『多磨』九大支部創立歌会に出席(1月22日)、『九州日報』に火野葦平におくる歌五首(1月24日)、『東京朝日』に『新人歌人抄』(1月18日)。傷痍軍人福岡療養所発行「再起」の短歌選者となる。糟屋農学校校歌制作。これ以降、校歌、学園歌、隊歌、社歌、市歌その他の制作は夥しい数となり、そのうち90篇は1978年(昭和53年)11月刊行の『わが思い出のカンタータ』(梓書院)に記録。北原白秋の指示により朝日新聞連載中の火野葦平『花と兵隊』主題歌を田中善徳と合作。また『麦と兵隊』の主題歌を白秋が補作。 1940年(昭和15年)35歳 - 『多磨』に作品発表。「征還/宮柊二・火野葦平(17首)」他114首。論文「黄玉地帯の新作歌」「前月作品批評」「多磨の事変歌」報告「我が支部の現勢と将来」「多磨の事変歌」。合評『白南風研究・第一回〜第三回』、論評「水郷記・橋本政一追悼」。『短歌研究』に作品「積雪期登攀(27首)」、論文『新万葉集の山の歌(一)〜(二)』。『山と渓谷』に論文「山岳短歌雑考(8月)」『玖珠川渓谷を探勝(8月16日)』。福岡放送局(JOLK/現:NHKラジオ第1福岡)より『銃後の女性短歌』を放送(12月5日)。 1941年(昭和16年)36歳 - 『多磨』に作品発表。「雲表(19首)」他106首。合評『白南風研究・第四回〜第十三回』。『多磨柳河大会印象記』。競泳作品「周邊(35首)」所感文「勝鳥」、『兢詠批評』。『短歌研究』に作品「海光(11首)」他8首。 九州日報『新春(5首)』(1月5日)、九州日報募集短歌選者(1月)。『山と渓谷』一月号に作品「伯耆大山(5首)」、三月号に論文「スキー短歌私観」。多磨九州短歌大会(3月16日)に参加。糸島聯合青年団歌の選と補作(4月)、5月に福岡地方文化聯盟を結成、6月情報部長となる。11月に九州文化協会と併合、福岡文化聯盟と改称。礦業報国新聞の歌壇選者(8月)。12月8日、酒商を廃業。12月27日、福岡日日新聞社(のち西日本新聞社)入社。森脇憲三との出会い。 1942年(昭和17年)37歳 - 『多磨』に作品発表。「瀬高(10首)」他96首。論文「拡大する短歌の世界」「短歌初学講座」「多磨の傷痍軍人詠」『尾形慶吾追悼記』「海図所感」「高志の風格」。『短歌研究』に作品「霜の光(5首)」。1月、福岡日々新聞社編輯部に勤務する。同月「九州文学」同人となり、1995年6月逝去までの53年間その活動に当たる。『日本短歌』に作品「業餘即事(10首)」、6月「九州文学」に『北原白秋(一)(二)(三)』 (六・七・八月号)。『日本文芸』に作品「初夏戦況(10首)」(八月)。九州の最高峰久住山に登る。10月6日、北原白秋から電報「イノチノマツタケンヒトハオモシロシト タマヲアハレ ハクシウ」。白秋全書簡の最後となる。同月31日、白秋の病気篤く、妻ヱキの実家菓子老舗の加留部家特製のカステラを持参して上京、看護に当たる。白秋、カステラを一口食して喜ぶ。11月2日、北原白秋の臨終に侍する。通夜,葬儀に列する。5日、多磨福岡支部、白秋追悼歌会を開催し報告。12月20日、柳河において白秋五十年祭。同月、『多磨』白秋追悼号に『御臨終に侍す』、『短歌研究』に白秋追悼歌「通夜(5首)」。
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