「多数相手の迎合 (追従/へつらい)」としての「弁論術/大衆演説」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 00:22 UTC 版)
「ゴルギアス (対話篇)」の記事における「「多数相手の迎合 (追従/へつらい)」としての「弁論術/大衆演説」」の解説
ソクラテスは、ではゴルギアス、ポロスとの議論で出てきたように、「迎合 (追従)」と「技術」という2つの仕事の区別を承認するか問う。カリクレスは、とりあえず同意する。ソクラテスは、多数を相手とした「迎合 (追従)」として、「笛吹き術」「合唱術」「ディテュランボス・悲劇の詩作」などを挙げる。カリクレスも、同意する。ソクラテスは、ではその「詩」から節・リズム・韻律を取り除くと、一種の「大衆演説」となり、ある種の「弁論術」になると指摘。カリクレスも、同意する。 ソクラテスは、ではアテナイの成年市民の集まりを相手とする「弁論術」「大衆演説」は、「迎合 (追従)」なのか否か問う。カリクレスは、「迎合 (追従)」もあれば、「そうでないもの」もあると答える。ソクラテスは、そのもう一方のものは、「市民達の魂を善くするために最善のことだけを語る」ものだろうが、現代の弁論家の内で、そうしたことをする者はいるか問う。カリクレスは、否定する。ソクラテスは、では昔にはいたのか問う。カリクレスは、テミストクレス、キモン、ミルティアデス、ペリクレス等の名を挙げる。
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