「出羽秋田郡比内庄松峯山縁起」
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「松峰山信仰遺跡群」の記事における「「出羽秋田郡比内庄松峯山縁起」」の解説
松峰山の縁起を記録した古書は数多くある。代表的なものは『秋田六郡三十三観音巡礼記』、『久保田郡邑記』、『秋田風土記』、『郷村史略』、『伊豆園茶話』、『羽陰温古誌』、「出羽秋田郡比内庄松峯山縁起」である。これらに記された内容は、誤写・誤記や筆者による加筆を除けば、原書は一冊であると考えられる。しかし、原書の所在は不明である。文章の内容から、原書の成立は1673年(寛文12年)から1687年(貞享4年)の間と想定できる。そして「出羽秋田郡比内庄松峯山縁起」が最も原書に近いものであるといえる。 祓川 - 参道の石段下の向かって右にある不動の滝から流れる小川。不動の滝は参詣者の不浄を滝で洗い流す為にこの名がついている。(菅江真澄は「禊川」、「はらひ川」と記録している)(北緯40度18分43.02秒 東経140度32分48.01秒 / 北緯40.3119500度 東経140.5466694度 / 40.3119500; 140.5466694) 神明社 - 山のふもとから1町(100m程度)ほど進むと、右手の小さな丘に神明社の小祠がある。お伊勢様とも言う。(菅江真澄は「伊勢のうちとを斎る社」と記録している)(北緯40度18分50.71秒 東経140度32分31.59秒 / 北緯40.3140861度 東経140.5421083度 / 40.3140861; 140.5421083) 湯殿山 - 次に湯殿山を遥拝(はるか遠くから拝むこと)する碑がある。(1770年建立。菅江真澄は記録を残していない)(北緯40度18分48.76秒 東経140度32分35.53秒 / 北緯40.3135444度 東経140.5432028度 / 40.3135444; 140.5432028) 庚申塚 - 次に庚申塚がある。(1778年建立。菅江真澄は記録を残していない)(北緯40度18分48.61秒 東経140度32分34.72秒 / 北緯40.3135028度 東経140.5429778度 / 40.3135028; 140.5429778) オコ石、オバ石 - 文殊菩薩と普賢菩薩をまつる。(菅江真澄は「山にくさぐさの物語多けれどはぶきぬ」としている)(北緯40度18分54.11秒 東経140度32分20.70秒 / 北緯40.3150306度 東経140.5390833度 / 40.3150306; 140.5390833)、(北緯40度18分54.73秒 東経140度32分19.62秒 / 北緯40.3152028度 東経140.5387833度 / 40.3152028; 140.5387833) 夜泣石 - 夜泣きをする児のために、この石に祈れば泣き止んでよく眠るという。(普賢石?近年の資料には写真が多く載っているが、現地には無い。紛失?)(北緯40度18分54.42秒 東経140度32分10.97秒 / 北緯40.3151167度 東経140.5363806度 / 40.3151167; 140.5363806) 宇佐八幡宮 - 一の鳥居の近くにある小祠で、子供の疱瘡のため小さな草刈鎌を奉納する。草八幡とも言う。(菅江真澄は「草八幡石」と記録している。小さな草刈り鎌を奉納して祈れば、子供の瘡を治すという)(北緯40度18分53.77秒 東経140度32分04.32秒 / 北緯40.3149361度 東経140.5345333度 / 40.3149361; 140.5345333) 一の鳥居 - 石の大鳥居。昔、その右に池があって、築庭が造られていたという。(菅江真澄は「鶏栖」と記録している。これは、千年記念に建てられたものである)(北緯40度18分54.02秒 東経140度31分59.77秒 / 北緯40.3150056度 東経140.5332694度 / 40.3150056; 140.5332694) 松峯山傳壽院 -(菅江真澄は「伝寿院」としている。「出羽秋田郡比内庄松峯山縁起」が編集された時には廃絶されていたので記録が無い。一の鳥居をはさんであった池の跡には、セリが自生している。これは伝寿院の庭と池だと言われる。ここから大山登山コースになる) 杉並木 - 一の鳥居と本殿との間にある巨木の杉並木。その昔、花岡鉱山の煙害で枯れ多く伐採されたと記録されている。(菅江真澄の文章に記載は無いが、絵図に明確に描かれている。現在では樹齢600年以上の周6m50cmの杉が最大である)(北緯40度18分53.18秒 東経140度31分56.64秒 / 北緯40.3147722度 東経140.5324000度 / 40.3147722; 140.5324000) 石段 - 社殿の前にある石の階段。170段ほどあるという。(石段は全部で160段だと言われる。「イシノキザハシ」とも言う) 不動の滝 - 階段に向かって右側にある倶利伽羅不動の瀧。絶壁より流れ落ちて末は払川になる。登山者はこの瀧にて手水して身を清め本殿に上がる。(菅江真澄は「桶に水をおとしたる」と記録している。現在は手水舎とその側にある水神社(宇賀神社)になっている。水飲み場の上にはかつて滝があった)(北緯40度18分52.91秒 東経140度31分53.66秒 / 北緯40.3146972度 東経140.5315722度 / 40.3146972; 140.5315722) 宇賀神社 - 水神社と言って、階段に向かって右側、滝の流れにある小祠。 (菅江真澄は「宇賀の神」と記録している。石段の右側にある。瀧の流れの横にあるので、小祠水神様とも言う)(北緯40度18分52.91秒 東経140度31分53.66秒 / 北緯40.3146972度 東経140.5315722度 / 40.3146972; 140.5315722) 本殿 - 境内は6反11歩の面積で広々としている。現在の本殿は火災で焼けたものを、佐竹義遵が慶応2年から工事をして、慶応4年4月に建てたもの。(菅江真澄は「不動尊」と記録している)(北緯40度18分52.23秒 東経140度31分50.23秒 / 北緯40.3145083度 東経140.5306194度 / 40.3145083; 140.5306194) 薬師堂 - 本殿の左上にある。久須神社とも言う。松峰のお薬師様と言われる。(菅江真澄は「薬師仏の堂」と記録している)(北緯40度18分51.39秒 東経140度31分50.11秒 / 北緯40.3142750度 東経140.5305861度 / 40.3142750; 140.5305861) 山神社 - 山の神様と言い、本殿の右にある小祠。山神社を廻って山の中腹を進むと不動の滝の源がある。(菅江真澄の記録は無い。明治4年に松峯山の不動尊が廃している間、ここで祀りがおこなわれていた)(北緯40度18分52.87秒 東経140度31分50.84秒 / 北緯40.3146861度 東経140.5307889度 / 40.3146861; 140.5307889) 岩谷十一面観音 - 杉並木の中程から側道に入って、釼が峰のふもとにさしかかれば大きな岩窟がある。十数人を納めるに足りる岩窟である。そこに十一面観音がある。(菅江真澄は「観音の窟」と記録している。かつて十一面観音があったが、盗難にあったという)(北緯40度18分50.03秒 東経140度31分57.18秒 / 北緯40.3138972度 東経140.5325500度 / 40.3138972; 140.5325500) 白岩 - その左方に白岩の絶壁がある。 天神の岩 - 一の鳥居から北の峰に登れば、岩上に松の古木とこはぜの木が生えた岩がある。これを天神の岩という。 東覘岩(ひがしのぞきいわ) - 巨岩が突き出し東天を眺望するような形になっている岩が東のぞき岩という。(菅江真澄の記録はない)(北緯40度18分59.12秒 東経140度31分46.83秒 / 北緯40.3164222度 東経140.5296750度 / 40.3164222; 140.5296750) 鏡岩 - 岩が鏡のように立っているのをかがみ岩という。烏帽子岩ともかぶと岩とも言うが、その形が異常なので付けた名である。(菅江真澄は「冑岩」と記録している)(北緯40度18分59.18秒 東経140度31分46.67秒 / 北緯40.3164389度 東経140.5296306度 / 40.3164389; 140.5296306) 胎内竇(たいないくぐり) - 斧で削ったような岩の岩腹に洞孔がある。岩をのぼって中に入れば、母の胎内にいるような心地がするという。奇岩である。(菅江真澄は「窓岩」、「胎内潜」と記録している)(北緯40度18分59.08秒 東経140度31分46.21秒 / 北緯40.3164111度 東経140.5295028度 / 40.3164111; 140.5295028) 北覘岩 - 胎内竇から休場に到る北方に北覘岩がある。(菅江真澄は「のぞき岩」「屏風岩」と記し大和の大峰山の如き「のぞき修行」がおこなわれていたと記述している。この他ここから山頂までに飛石、横飛石、大日岩、薬師岩の渟氷などを菅江真澄は記録しているが「出羽秋田郡比内庄松峯山縁起」には記載がない)(北緯40度18分59.58秒 東経140度31分43.35秒 / 北緯40.3165500度 東経140.5287083度 / 40.3165500; 140.5287083) 休場 - 最高点に登れば山上にやや低く平たくなっているところがある。ここを休み場としている。登山者はここで休憩するべきだろう。最高点に三角点がある。(菅江真澄の記録はない) 杵岩(きねいわ) - 休み場の西に杵岩がある。月のウサギが持つ杵のようである。(現在は樹木が繁茂して見えないとされる。西斜面にある) 奥の院 - 休み場の西方に階段がある。これを奥の院という。(菅江真澄は「奥の御座」と記録している。菅江真澄はここから硯岩の間に護摩の段、座禅石、権現の岩などを記録しているが、それらは現在特定できていない) 硯岩(すずりいわ) - 最高峰を南に降りて釼が峰が前にたっている。登ると硯岩がある。へこんだ底にいつも水をたたえている。弘法の硯石という。(菅江真澄の記録は無い。大山の南東の隣の峰である「大岩」から田代町方面にかつて硯石が見えたが、今は樹木に覆われているという) 釼が峰(けんがみね) - 鋭い岩が露出して、足の踏み場もなく、峰に登る所がない。(菅江真澄は剣が嶺と記録している。現在は樹木が繁茂していて恐怖感は少ない)(北緯40度18分42.71秒 東経140度31分49.76秒 / 北緯40.3118639度 東経140.5304889度 / 40.3118639; 140.5304889) 天狗岩 - 釼が峰の大きな峰を大天狗、小さな峰を小天狗の岩という。(菅江真澄は「大天狗・小天狗の岩」と記録している) 鋏岩(はさみいわ) - 岩が相対して鋏のようになっている岩。(菅江真澄の記録は無い。鼓岩があるやや平たい小道をふさぐようにある大きな岩をよじ登ると、鋭利な岩が2つある)(北緯40度18分39.93秒 東経140度31分49.45秒 / 北緯40.3110917度 東経140.5304028度 / 40.3110917; 140.5304028) 天狗橋 - 天狗の釣り橋とも言い、山上第一の奇勝である。巨岩が千尋の谷間に架かっている。これを渡って下を眺めると、恐ろしく歩きづらい。(菅江真澄は大天狗の釣橋と記録している)(北緯40度18分37.95秒 東経140度31分51.35秒 / 北緯40.3105417度 東経140.5309306度 / 40.3105417; 140.5309306) 鼓岩(つづみいわ) - 天狗岩を渡って行くと、平らな岩がある。足で踏めば、天狗が鼓を打っているような音がする。内部は空洞になっているのだろう。ここは眺望が良い。(菅江真澄は籠岩と記録している。太鼓岩とも言う。踏むと太鼓のような音がする。中の空洞には昔は入れたが、今は土に埋もれている)(北緯40度18分34.86秒 東経140度31分51.11秒 / 北緯40.3096833度 東経140.5308639度 / 40.3096833; 140.5308639) 鼓岩を降りて左に回れば一の鳥居の下に出て、元の道路に到着する。
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