「函谷関」の名称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 04:37 UTC 版)
旧関付近で、黄土層の切り立った崖の中を数キロメートルにわたって街道が通る地形が、あたかも函の中を行くのに似ているとしてこの名が生まれた。 『水経注』や『元和郡県志』には、崤山 (zh) から潼津にかけての地域を押しなべて「函谷関」と呼ぶ、と記されている。 この地域の関塞は時代や政治状況によって数度にわたって移転したり、複数の関塞を併用していたりしている。歴史地理学・考古学者の塩沢裕仁は、「桃林塞」「函谷関」「潼関」が一つのものとして理解され、現在の潼関県から河南省三門峡市霊宝市までの広範な地域が「函谷関」と称されてきたことに注意を促している。 文学的には「函関」などの名称も用いられた。
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