「函館母子寮」
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1945年(昭和20年)7月の青函連絡船空襲によって殉職した日本国有鉄道の職員遺族母子のための施設として1949年(昭和24年)に開設。 職員遺族母子だけでなく、戦時中に夫を失い生活困窮者となった一般の母子への支援にもあたっており、1954年(昭和29年)当時は、28世帯111人が支援を受けていた。 また、1954年(昭和29年)の洞爺丸海難事故で再度多数の職員が犠牲になり、24世帯分を増築し52世帯収容となった。乳幼児数も増え、保育園(現在:人見認定こども園(ひとみ弘済保育園))が併設された。 その後、1974年(昭和47年)函館母子寮は保育園を残し財団法人弘済会から函館市に移管した。
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