「出雲の藤布紡織習俗」とは? わかりやすく解説

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「出雲の藤布紡織習俗」(山陰地方)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 10:46 UTC 版)

藤織り」の記事における「「出雲の藤布紡織習俗」(山陰地方)」の解説

画像提供依頼出雲藤布画像提供をお願いします。(2019年3月山陰地方藤織りいつ頃ら行われたのか、その起源について記録伝承はまったくない。他の地方藤織りの例をみれば、藤布普段着穀物袋など日用品々広く活用され時代長くあったと推測されるが、それがいつ麻や木綿などの栽培植物移行したのかも知ることはできず、丈夫でをもはじく藤布性質から、山仕事などに利用され痕跡明治年間まで点在するものの、この地方現存する藤布衣料は稀である。 そのいっぽうで藤布漁網としての利用は、少なくとも明治時代以前さかのぼることは確実で、1860年代万延文久の頃)に、島根半島漁村考案されイワシ曳網モジ織が使われている。 もうひとつ藤布用途に、蒸籠で米を蒸すとき使う、平織敷布があった。藤織り敷布蒸した米が布に付着しないため重宝され酒造醤油造などの業者大きな需要があった。また、一般家庭でももち米赤飯を蒸すのに使われた。第二次世界大戦後には、これも化学繊維のものに変わって生産途絶えたが、敷布だけは破けたり古くなっても繕って藤布利用し続け家庭多かったという。 このようなことから、山陰地方藤織り用途には、4つ時代があったと考えられている。 普段着をはじめ、日常生活様々なものに利用され自給自足時代 普段着には利用しなくなったが、山の仕事着や袋などには利用されていた時代 おもに漁網にして、販売するために生産され時代 他の物にはほとんど利用しなくなったが、蒸籠敷布には利用され時代 出雲地方藤織りは、1967年昭和42年3月、「出雲の藤布紡織習俗」として「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択された。

※この「「出雲の藤布紡織習俗」(山陰地方)」の解説は、「藤織り」の解説の一部です。
「「出雲の藤布紡織習俗」(山陰地方)」を含む「藤織り」の記事については、「藤織り」の概要を参照ください。

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