「出雲の藤布紡織習俗」(山陰地方)
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画像提供依頼:出雲の藤布の画像提供をお願いします。(2019年3月) 山陰地方の藤織りがいつ頃から行われたのか、その起源についての記録や伝承はまったくない。他の地方の藤織りの例をみれば、藤布が普段着や穀物袋など日用の品々に広く活用された時代が長くあったと推測されるが、それがいつ麻や木綿などの栽培植物に移行したのかも知ることはできず、丈夫で茨をもはじく藤布の性質から、山仕事などに利用された痕跡は明治年間まで点在するものの、この地方に現存する藤布の衣料は稀である。 そのいっぽうで、藤布の漁網としての利用は、少なくとも明治時代以前にさかのぼることは確実で、1860年代(万延・文久の頃)に、島根半島の漁村で考案されたイワシ中曳網に藤のモジ織が使われている。 もうひとつの藤布の用途に、蒸籠で米を蒸すとき使う、平織の敷布があった。藤織りの敷布は蒸した米が布に付着しないため重宝され、酒造や醤油造などの業者に大きな需要があった。また、一般家庭でももち米や赤飯を蒸すのに使われた。第二次世界大戦後には、これも化学繊維のものに変わって生産は途絶えたが、敷布だけは破けたり古くなっても繕って藤布が利用し続ける家庭も多かったという。 このようなことから、山陰地方の藤織りの用途には、4つの時代があったと考えられている。 普段着をはじめ、日常生活の様々なものに利用された自給自足の時代 普段着には利用しなくなったが、山の仕事着や袋などには利用されていた時代 おもに漁網にして、販売するために生産された時代 他の物にはほとんど利用しなくなったが、蒸籠の敷布には利用された時代 出雲地方の藤織りは、1967年(昭和42年)3月、「出雲の藤布紡織習俗」として「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択された。
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