声聞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/25 17:00 UTC 版)
大乗仏教における扱い
大乗仏教の立場からは、声聞は自己の悟りのみを得ることに専念し利他の行を欠いた出家修行者とされた[7]。
大乗仏教では、全ての仏教を声聞乗、縁覚乗、菩薩乗の3種に分け、それぞれ能力の異なった3種類の対象のために異なった教えがあるとしているが、このうち声聞は最も能力の劣ったものとされる[6]。大乗仏教では、声聞を独覚(縁覚)と並べて、この2つを二乗・小乗として貶している[1]。なお、ダライ・ラマ14世の著書『ダライ・ラマ 智慧の眼をひらく』に加えられた註記では、小乗の語について、このような曖昧な歴史のある不快な言葉は避けて声聞乗という呼称を用いたほうがよいと解説されている[注釈 1][4]。
四大声聞
4人のすぐれた仏弟子のことを四大声聞という[10]。どの人物が四大声聞とされるかは、経によって異なる[10]。
法華経における四大声聞
『法華経』授記品では、釈尊が4人の高弟に対して記別をあたえる(記別とは、仏が弟子たちに、未来における成仏を予言し、その成仏の次第、名号、仏国土や劫などを告げ知らせること)[11]。この4人のすぐれた仏弟子を四大声聞という[10]。その4人は次のとおり[10]。
関連項目
注釈
- ^ 同書の「英訳者まえがき」によると、註記部分の一部は同書のヒンディー語版の翻訳者によるもので、それ以外は英訳者チームの一人が執筆している。
出典
- ^ a b c d e f 中村元『広説仏教語大辞典』 中、東京書籍、2001年6月、904 -905頁。
- ^ a b c d e f 総合佛教大辞典編集委員会(編)『総合佛教大辞典』 上(第一版)、法蔵館、1988年1月、756頁。
- ^ 梶山雄一 訳『大乗仏典2 八千頌般若経I』中央公論新社〈中公文庫〉、2001年、317頁。
- ^ a b c ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ 著、菅沼晃 訳『ダライ・ラマ 智慧の眼をひらく』春秋社、2001年、73頁。ISBN 978-4-393-13335-4。 全面的な再改訳版。(初版『大乗仏教入門』1980年、改題『智慧の眼』1988年)The Opening of the Wisdom-Eye: And the History of the Advancement of Buddhadharma in Tibet, 1966, rep, 1977。上座部仏教に関する注釈も備える。
- ^ a b 平岡聡『大乗経典の誕生: 仏伝の再解釈でよみがえるブッダ』筑摩書房〈筑摩選書〉、2015年、127頁。
- ^ a b “声聞(しょうもん)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年7月18日閲覧。
- ^ a b 中村元ほか(編)『岩波 仏教辞典 第二版』岩波書店、2002年10月、549頁。
- ^ a b 辻直四郎協力 著、荻原雲来編纂、鈴木学術財団 編『漢訳対照 梵和大辞典 新訂版』山喜房佛書林、2012年、1354頁。
- ^ 佐々木教悟『佛教学セミナー』第18巻、1973年、22-36頁、NAID 120006724417。
- ^ a b c d 総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、553頁。
- ^ 坂本幸男・岩本裕訳注 『法華経(上)』 岩波書店〈岩波文庫〉、1976年、訳注、404-405頁。
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