旅行ガイドブック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/09 13:29 UTC 版)
旅行ガイドブックの正確性・客観性
出版物は、その内容の正確性・客観性について問題となる場合がある。特に読者の見知らぬ地域を案内する旅行ガイドブックの場合、読者はガイドブックの情報に大きく依存する傾向がある。また、ガイドブックに掲載された宿泊施設・飲食店(ホテル・旅館・レストラン・パティスリーなど)では、ガイドブックに掲載されたことを広告材料として用いるケースも見受けられる。また、正確性・客観性に対する評価が高ければ、それだけ掲載されている情報の信頼性も高まる事となる。
その為、洋の東西を問わず、旅行ガイドブックに記載されている情報の正確性・客観性は、常に議論の的となっている。内容の正確性・客観性を巡って激論や関係者間の非難の応酬が繰り広げられる事は別段珍しいものではない。ガイドブックにおいて内容に客観性を伴わせることと広告を掲載することが両立しうるかは、古くよりその是非について判断の分かれるところである。
『ベデカー』[注 5]・『ブルー・ガイド』・『ギド・ミシュラン』[注 6]・『ロンリープラネット』などでは、広告非掲載が徹底された。
特にレストランやホテルの格付けで権威を誇る『ギド・ミシュラン』の赤ミシュランシリーズは、広告非掲載に加え、評価対象に関しても匿名での調査を徹底している。このため『ギド・ミシュラン』から三ツ星を与えられたレストランやホテルもまた権威を持ち、多くの観光客を見込めるようになり、複数のマスコミの取材対象となりメディア露出が増えるなど、オーナーやシェフが一躍時代の寵児となることもある。
その一方で、旅行ガイドブックがテレビや雑誌などのマスコミなどに頻繁に取り上げられる時代になり、美食・観光の世界でより大きな権威を持つ様になって以降、少なからぬ弊害も見られる様になっている。例えば、高評価を得た店舗に客が殺到し、それまでの常連客ですら予約もまともにとれない状況になるのみではなく、結局は店舗側の対応能力の限界を超えてしまいサービス面などでの低下を引き起こしたものも少なくない。逆に著名なガイドブックに評価を引き下げられる事も、店側や料理人にとっては来客数の低下のみならず、場合によっては店舗の存続をも直接に左右しかねない事態、料理人にとっては『一流』という評価が失われる危機となる事がある。事実、この格下げが原因となって閉店したり、さらには料理人が廃業した、自殺したなどと噂された事は、細かい所まで拾っていけば枚挙に暇がない程である[注 7][注 8][注 9]。
一方で、読者側は広告掲載により販売単価を抑えたものになることが期待でき、ガイドブックの出版社側はこれにより部数増加を見込むことができる。ガイドブック内にクーポン券や割引券を織り込むことで、読者の利便性が増すと考える向きもある。
例えばイギリスの『ウォード・ロック』(Ward Lock)のイラスト旅行ガイド(Illustrated Guide)の1921年版『ロンドン案内』は本文262ページに対して100ページを越える広告が掲載されていた。
他方、高い評価がありながらも、オーナーのポリシーや思想、経営方針などにより格付けをされる事や、ガイドブックに掲載される事自体を拒否している宿泊施設・飲食店は洋の東西を問わず少なからず存在しており、どの様な編集・発行の形態の旅行ガイドブックであっても、そこに記載されている情報がその地域の全てを網羅し尽くしているわけではない事も事実である。また、信頼するに足り得ると認めた特定のガイドブックにのみ掲載を許可する店舗・オーナーも存在する。その為、読者だけではなく、宿泊施設・飲食店・料理人からどれだけの信頼を得られるかも、旅行ガイドブックにとっては情報量や情報の価値・正確性を左右する重要な要素となる。
もっとも、これらの一方で、評価の対象となる店舗やオーナーの中には、「同業他店と同じ星の数なのは到底納得できない」として掲載を拒否する、裏を返せば、編集者に掲載許可の条件として、「自らの店舗に同じジャンルの料理店の中で最高評価を与え、同ジャンルの他店舗には同レベルの評価を与えない事」を暗に要求する様な、自己の利益しか考えない者も存在しているという[7]。
注釈
- ^ ベデカーの『ライン川案内』は何回か改訂版がでており、どれを最初にするかでマレーとベデカーどちらが最初だったか判断が分かれている。マレー側はベデカーのライン川案内はマレーのガイドブック形式の盗用と批判しているが、マレーとベデカー両方を近代旅行ガイドブックの始祖とすることがほとんどである。
- ^ 江戸時代末期に日本を訪れたアーネスト・サトウは道中記のことを日本の『マレー』と表している。『一外交官の見た明治維新』(上・下)岩波文庫
- ^ 後に博文館に編集が変わる
- ^ 公式の邦語名称は無い。他に『鉄道院版英文東亜交通案内』、『公認東亜案内』などの表記例がある。
- ^ 第一次世界大戦後に改訂されたドイツ語版「スイス案内」には、広告が20ページ掲載された。しかし、後に再び広告非掲載の方針に戻った。
- ^ 有料となった1920年以降、広告非掲載化
- ^ 1966年、パリで人気のあったルレー・デ・ポルクロールのシェフだったアラン・ジックが自殺。ミシュランの評価を気にしたのが原因と噂された。
- ^ 天才フランス料理人ともてはやされたベルナール・ロワゾーは、2003年に自殺。自殺時期がガイドブックの改訂時期と重なったため、ミシュランなどのガイドブックの評価を気にしたのではないかと噂された。しかし真相は不明。
- ^ ミシュランの評価を下げられたことで、ミシュランへの掲載がなくなってしまった例もある。ミシュランから三ツ星を与えられていたマキシム(Maxim's)は1978年版から6つの店について評価の掲載がなくなった。これに対してマキシム側は「当方はレストランではなく劇場。従ってミシュランは正しい」とコメントした。ミシュランが三ツ星から二ツ星への降格を打診したところ、マキシムがレストランとしての掲載を拒否したためと言われる。
- ^ ニュルンベルク裁判の証言で明らかになった。
出典
- ^ 阿部猛『起源の日本史 近現代篇』同成社
- ^ 赤井 2016, pp. 117–126.
- ^ [1]
- ^ a b c d 長坂契那「明治初期における日本初の外国人向け旅行ガイドブック」『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』第69号、慶應義塾大学大学院社会学研究科、2010年、101-115頁、ISSN 0912456X、NAID 120002791529。
- ^ 住谷裕文「「知」の収奪 : 世界初の英文日本ガイドブック(1)」『大阪教育大学紀要 1 人文科学』第57巻第2号、大阪教育大学、2009年2月、17-38頁、ISSN 03893448、NAID 120002108992。
- ^ a b c 赤井 2016, pp. 126–132.
- ^ 日刊ゲンダイ 2008年(平成20年)11月23日付記事「ミシュラン格付けに大波紋」による。
- ^ レイモン・カルチェ『全史第二次世界大戦実録1』小学館
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