与謝蕪村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/11 17:12 UTC 版)
作品
俳句
- 春の海 終日のたりのたり哉
- 柳散り清水涸れ石処々
- 鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな
- 花いばら故郷の路に似たるかな
- 不二ひとつうづみのこして若葉かな
- 牡丹散りて打かさなりぬ二三片
- 夏河を越すうれしさよ手に草履
- ゆく春やおもたき琵琶の抱心
- 易水にねぶか流るゝ寒かな
- 月天心貧しき町を通りけり
- さみだれや大河を前に家二軒
- 菜の花や月は東に日は西に
- 笛の音に波もよりくる須磨の秋
- 涼しさや鐘をはなるゝかねの声
- 稲妻や波もてゆへる秋津しま
- ところてん逆しまに銀河三千尺
- 古庭に茶筌花さく椿かな
- ちりて後おもかげにたつぼたん哉
- あま酒の地獄もちかし箱根山
- 鰒汁の宿赤々と燈しけり
- 二村に質屋一軒冬こだち
- 御火焚や霜うつくしき京の町
- 寒月や門なき寺の天高し
- さくら散苗代水や星月夜
- 住吉に天満神のむめ咲ぬ
- 秋の夜や古き書読む南良法師
- 朝霧や村千軒の市の音
- 休み日や鶏なく村の夏木立
- 帰る雁田ごとの月の曇る夜に
- うつつなきつまみ心の胡蝶かな
- 雪月花つゐに三世の契かな
- 朝顔や一輪深き淵の色
絵画
- 山水図(出光美術館)六曲一双 重要文化財 1763年
- 十便十宜図(川端康成記念会)画帖 国宝 1771年 池大雅との競作。蕪村は十宜図を描く。
- 紅白梅図(角屋もてなしの文化美術館)襖4面、四曲屏風一隻 重要文化財
- 蘇鉄図(香川・妙法寺)四曲屏風一双(もと襖) 重要文化財
- 山野行楽図(東京国立博物館)六曲一双 重要文化財
- 竹溪訪隠図(個人蔵)掛幅 重要文化財
- 奥の細道図巻(京都国立博物館)巻子本2巻 重要文化財 1778年
- 野ざらし紀行図(個人蔵)六曲一隻 重要文化財
- 奥の細道図屏風(山形美術館)六曲一隻 重要文化財 1779年
- 奥の細道画巻(逸翁美術館)巻子本2巻 重要文化財 1779年
- 新緑杜鵑図(文化庁)掛幅 重要文化財
- 竹林茅屋・柳蔭騎路図(個人蔵)六曲一双 重要文化財
- 春光晴雨図(個人蔵)掛幅 重要文化財
- 鳶烏図(北村美術館)掛幅(双幅) 重要文化財
- 峨嵋露頂図(法人蔵)巻子 重要文化財
- 夜色楼台図(個人蔵)掛幅 国宝
- 富嶽列松図(愛知県美術館)掛幅 重要文化財
- 柳堤渡水・丘辺行楽図(ボストン美術館)六曲一双 紙本墨画淡彩
- 蜀桟道図(シンガポールの会社) 1778年
上記の他に、蕪村の俳諧の門弟でパトロンでもあった寺村百池の家に伝わった絵画、短冊、書状等の遺品一括が「与謝蕪村関係資料」として重要文化財に指定されている(1987年指定、文化庁保管)。
- ^ “紙本墨画淡彩鳶鴉図”. 文化遺産オンライン. 2022年8月5日閲覧。
- ^ 門人宛の書状による。同地に大阪市が生誕地の碑を建てている。与謝蕪村と都島大阪市都島区(2019年11月2日閲覧)より。
- ^ a b c d 「与謝野蕪村/遅咲きの文人 丹後の寄り道」『日本経済新聞』朝刊2019年10月6日9-11面(NIKKEI The STYLE)。
- ^ 『別冊太陽 与謝蕪村 画俳ふたつの道の達人』平凡社、p.170、2012年。
- ^ 山形大学名誉教授、杉浦守邦(公衆衛生学)の鑑定による。
- ^ 文庫新版は、『俳人蕪村』は岩波文庫・講談社文芸文庫、『与謝蕪村 郷愁の詩人』は岩波文庫
- ^ 『読売新聞』2015年10月15日 36面掲載。
- ^ 主な著作に、『蕪村』(岩波新書、2000年)、『蕪村余響 そののちいまだ年くれず』(岩波書店、2011年)、『蕪村 日本人のこころの言葉』(創元社、2014年)
- ^ なお「蕪村全集」は大正期に潁原退蔵(尾形の岳父にあたる)が編み、有朋堂書店(全1巻、初版1925年)で出版。
- ^ ワイド版岩波文庫も刊。旧版は潁原退蔵編・校注。復刻版・一穂社
- ^ 朱衛紅、「佐藤春夫「春風馬堤図譜」の模倣とオリジナリティ」『国際日本文学研究集会会議録』 2004年 27号 p.169-184, 国文学研究資料館
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