鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉
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評 言 |
最近の天候不順は、全く世界規模のようで日々痛ましいニュースを聞くことが多い。二百十日も間近になると決まって思い出すのが、この蕪村の句である。 この句は蕪村が作った詠史句であるが、写生句と思ってもおかしくないほどの緊迫感がある。しかも今の俳人が作る時事俳句と何ら変わりはない。 蕪村の詠史句を代表するこの句は、また私に大きな刺激を与えてくれた。この句を手本に私の想像力を広げ、歴史のエピソードや史実を生かし、蕪村の想像の作品に学びたいと思っている。もちろん詠史句のみならず蕪村句に多い故事やパロディを取り入れた句も作りたいという思いも強い。しかし、これも花鳥諷詠、写生の角度からは趣味の世界と否定されそうだが、私はこれも立派な句作法だと信じている。歴史という素材に想像力を駆使して、句に幅と広がりと深みをもたらしたいのだ。 その何よりの見本がこの蕪村の詠史句である。今、ロマンを失った現代人に、温故知新という立場から過去を振り返り、それを句という形で残してゆきたいのだ。また蕪村には故事に倣った句もあった。漢詩人たちの作品のパロディもあった。昔を偲ぶことは単なる懐古趣味ではない。むしろ文芸作品の一つのジャンルの復活といっても過言ではないと思う。 白梅や墨芳しき鴻臚館 蕪村 高麗舟のよらで過ゆく霞かな 二もとの梅に遅速を愛す哉 詠史句は芭蕉も手を染めたが、蕪村が大成したと考えている。その流れは明治期の漱石、紅葉、鏡花、荷風、露伴、万太郎、英治、龍之介、犀星、春夫…と続く。明治大正期の文人たちの豊かな想像力が詠史の森を育てたのだがその根は惜しくも昭和に入って枯れたようだ。その原因は一つには戦争という目的に押さえられた想像力の枯渇にもあったのだと考えている。精神のゆとりが忘れられた時代だったのだ。しかし生きる上に私は想像力だけは失いたくない。幸い、私の住む京都は歴史の素材に事欠かない。人間の心に歴史のロマンを復活させ、温故知新を基本姿勢として、想像力を駆使できたらいいと思う。 蕪村に倣った詠史句の世界を復活させ、そこに遊ぶことが今の私のささやかな夢である。 |
評 者 |
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備 考 |
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