こう‐こん〔クワウ‐〕【黄×昏】
たそ‐がれ【黄=昏】
たそがれ【黄昏】
黄昏
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黄昏
黄昏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/07 08:15 UTC 版)

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黄昏(たそがれ、たそかれ、コウコン、英:twilight)は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯である[1]。「黄昏時(たそがれどき)」。「黄昏れる(たそがれる)」という動詞形もある。
たそがれ

「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略である。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味である。この風習は広く日本で行われた。「おはようさんです、これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされる。
対になる表現に夜明け前を表す「かわたれどき(彼は誰時)」があり、本来はいずれも、夜明け前・日没後の薄明帯を区別せず呼んだと推測される。
用例

「たそかれ」という言葉は『万葉集』に
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ — 『万葉集』第10巻2240番
と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。
平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に
と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。
比喩
比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」を表す。
黄昏
漢語「
黄昏れる
「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある[3]。
脚注
黄昏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:29 UTC 版)
「サッカーユーゴスラビア代表」の記事における「黄昏」の解説
1992年3月25日に行われた国際親善試合、対オランダ戦がユーゴスラビア社会主義連邦共和国(スロベニア、クロアチアの独立前)として最後の試合となった。そしてユーロ92出場に向けてスウェーデンに出発する直前の1992年5月22日、前日にユーゴカップをパルチザンの監督として制し、直後にその職を辞任した代表監督イビチャ・オシムは、代表の監督も辞任した。会見で彼が挙げた辞任理由は「サラエヴォのために唯一自分が出来る事」という物であった。 1992年5月28日、オシムの見送りを受けたユーゴスラビア代表はスウェーデンに向かったが、ストックホルムに着いた時点で、以下の内容を通達された。 国際サッカー連盟及び欧州サッカー連盟は国際連合のユーゴスラビア(実質的にはセルビアとモンテネグロ)への制裁を受け入れ、全ての国際試合からユーゴスラビア代表を締め出す。 ユーゴスラビア代表はユーロ92への出場資格がないので、直ちにスウェーデンから出国する事。これは強制措置である。 スウェーデン政府は、人道目的による措置を除き、ユーゴスラビア代表スタッフ・選手その他関係者一切の入国を許可しない。 五輪メダル5個獲得、ワールドカップトーナメント進出4回、ユーロ準優勝2回。栄光のユーゴスラビア代表の終焉は、アーランダ国際空港通関ロビーの片隅で訪れた。 このUEFA欧州選手権1992大会は1992年6月10日から開催され、ユーゴスラビアの代わりに繰り上がり出場したデンマークが快進撃を見せ、フランスとイングランドを抑えてグループリーグを突破。準決勝で前回覇者のオランダを、決勝では2年前のイタリア・ワールドカップ覇者ドイツを撃破し、初優勝を手にした。 ドラガン・ストイコビッチはヴェローナでこのニュースを聞いたとき、オシムの言葉を思い出したという。「サッカーはわからない」。
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黄昏
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