ラヴォアジェ (Lavoisier, Antoine Laurent)
ラヴォアジェという人は
アントワーヌ・ローラン・
ラヴォアジェ
裕福な家庭の出身で最初は一族の伝統に従って法律を勉強し、弁護士試験に合格する。 やがて自らの天職、すなわち、科学の研究に気がつき、ジャルダン・デュ・ロワでペルナール・ド・ジュシューに植物学を学び、後に化学の講義で名高いギョーム・フランソワ・ルエルの学生となる。 ”大都市の照明および飲料水供給に関する論文”というラヴォアジェ初の論文がフランス科学アカデミーの目に止まり、1769年にわずか25歳でアカデミー会員になる。 火薬公社の管理人メンバーの一人に指名され、人工の硝石床を作成し、フランスにおける硝石の生産を質量ともに向上させた。
ラヴォアジェの主な経歴
1771年、兵器廠内に実験室を設ける。 ラヴォアジェが燃焼と呼吸の実験や水の組成の研究を行い、近代化学の基礎を築いたのはここである。 1775年までには金属および燃焼性物質を加熱すると、空気と結合することを確信するに至った。 さらに、空気とは酸素と、ラヴォアジェが窒素と名づけた物質との混合物であることを証明した。
1783年、科学アカデミーの報告に、フロジストン説への長文の反論を掲載する。 熱に関する当時までの考え方は、古代ギリシャ・インド哲学以来の熱を火と同質な1つの元素とする見方であり、それは今日でいう温度や燃焼という諸概念を複合したものであった。 18世紀後半頃から熱に関する新しい考え方、すなわち熱素(caloric)説が生まれていった。 自然の全物質のなかには最も微細にして、最も軽い、最も弾性に富んだ熱素というものがある。 これが粒子の間に割り込んで粒子相互の引き合いを妨げ、それを押し延ばさせる働きをする。 液体とは固体と熱素が結合したものであり、気体とは物質が熱素のなかに溶けたものである。
燃焼と仮焼は活性物質と酸素との単なる結合にすぎないのであり、フロジストン説は放棄すべきであるとした。 熱素には自由な熱素と結合された熱素とがあり、後者は物体のなかにあってその実質の一部を形成し、前者は物体から物体へと移動してさまざまな熱現象に与かるとした。 フランスの数学者であり天文学者であるピエール・シモン・ド・ラプラス他2名がこれを支持し、 この説は19世紀後半の熱とエネルギーとの同等性(ジュールの熱の仕事当量、ヘルムホルツのエネルギー保存則)、そして熱の運動論(マクスウェル)が確立するまで支配的なものとなっていった。
1787年、”化学物質の命名法”を出版。 ラヴォアジェ、ラプラスらは化学における新しい命名法を研究し、これを出版した。 酸素と金属の化合物は酸化物と呼ばれ、酸素と硫黄のような非金属との化合物は酸、例えば硫酸と名付けられた。 硫酸の塩は硫酸塩、亜硫酸は少ない酸素と結合した硫黄で、その塩は亜硫酸塩とされた。酸素を含まない化合物には、語尾に-ideをつけた。
1789年、”化学概論”を出版。 数カ国語に翻訳され、ヨーロッパ中に深い衝撃を与えた。 ”化学概論”の中で33の物質を元素としているが、そのほとんどは現在の元素表にも載っている。 また、質量保存の法則の概念を明確に提言しており、「人の手によっても自然によっても、新たに何物かがつくりだされることはない。どんな過程においても、その始めと終りで物質の量は常に等しい。これは原理として成立する」と述べている。
定量化学はここで登場する。 しかしラヴォアジェはフランス革命の渦中に巻き込まれ、化学とはほど遠い仕事に忙殺されていく。 メートル法設立委員会のメンバーでもあり、また、金融システムの改革に貢献し、徴税請負人(政府の代理人として税を取り立てる民間の制度。嫌われる。)や科学アカデミーの仕事も続けていた。
アントワーヌ・ローラン・ラヴォアジェ
フランス革命後の混乱のなか、1793年には科学アカデミーが廃止になり、三十人の徴税請負人と共にラヴォアジェも逮捕された。 裁判の結果、革命広場(現在のコンコルド広場)でギロ○ンにかけられ、偉大なる業績を残した化学者ラヴォアジェはその生涯を閉じる。 裁判長を務めたジャン・バティスト・コファンナルは、ラヴォアジェを弁護した勇敢な彼の友人に対し、「共和国には化学者は不要である。正義を貫くのみ」と反論したといわれている。
フランスの天文学者、ラグランジュ伯爵は嘆いたという。「ラヴォアジェの首を切るには、ほんの一瞬の時間しか必要としなかっただろう。しかし、彼と同じ頭脳を生み出すには100年あっても足りないだろう。」 フランス革命で失われた最も偉大な人物であり、比類ない大きな損失であった。 この10週間後には逆に過激派が処刑され、恐怖政治は終焉した。
中世紀的な燃焼論を克服して近代化学としての燃焼理論を創立し、この研究を通して”化学反応における質量保存の法則”を確立した。 化学方程式理論成立の直前の領域である。 また”化学物質の命名法”を出版して今日の化学物質命名法の基礎をつくった。 ラヴォアジェは中世化学の迷路を脱して新しい化学の道をひらいた先導者であり、これが現代化学の父と呼ばれる所以である。
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