GHQでの活動とは? わかりやすく解説

GHQでの活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 14:57 UTC 版)

チャールズ・ウィロビー」の記事における「GHQでの活動」の解説

日本占領した連合国軍の1国としてアメリカ軍参加しGHQでは参謀第2部 (G2) 部長として諜報保安検閲(特にプレスコード)を管轄した。政治犯として投獄されていた日本共産党幹部釈放や、労働組合活動奨励し日本民主化推進する民政局長のコートニー・ホイットニー准将次長チャールズ・L・ケーディス大佐敵視し縄張り争い繰り広げた右翼三浦義一旧軍河辺虎四郎らも使って反共工作進めた1945年10月4日GHQより日本政府に対して人権指令出され治安維持法廃止特高警察廃止共産主義者などの政治犯釈放が行われることになったが、日本の警察力の弱体化と、共産主義勢力増長危惧するウィロビーはこれらに強く反対していた。そのため、特高警察機能温存するために、内務官僚共謀して大衆的集団的不法行為取締り」を名目に、内務省警保局公安課を、各都道府県警察部公安課警備課設置することを後押しした公安警察)。 また、1947年内務省解体廃止にも、日本政府弱体化を招くとして、内務官僚と共に反対し、中央集権的な国家警察維持するために、警察総局公安局設置や、公安庁設置後押ししたが、GSのケーディスの抵抗うまくいかなかった。そのためウィロビーは、内務官僚石井栄三や、加藤陽三対抗策練り国家地方警察本部警備部設置することで、特高警察機能温存を図ることに成功した。後に、ウィロビーは、自著日本の警察制度に関して日本の警察機構は、占領期間中バラバラにされてしまったが、私の危惧した通り、これはうまくいかず、後に国家警察として再び一つになった」と記している。 極東国際軍事裁判の折、A級戦犯容疑者第一次裁判裁かれ東條英機28名の他に22名ほどいたが、この裁判をよく思っていなかったウィロビーの釈放要求(ただし、笹川良一釈放については慎重だったという)が通り22名の容疑者対す二次三次裁判行われなかった。背景として、まずジャパン・ロビーが反共工作取り仕切ったことと、加えて一次裁判時間がかかりすぎてイギリス裁判続行消極的になったことも影響している。 オランダ代表のベルト・レーリンク判事著書によれば、ウィロビーは「この裁判史上最悪偽善だった。こんな裁判が行われたので、息子には軍人になることを禁止するつもりだ。なぜ不信をもったかと言うと日本がおかれていた状況と同じ状況置かれたのなら、アメリカ日本同様に戦争出た違いないと思うからだ」と、語っていたとされている。 GHQ許可した戦後初の渡米者で、日米文化振興会(現日米平和・文化交流協会)を興した笠井重治が、「有力な情報提供者」として親交があった事で知られる袖井林二郎マッカーサ-の二千日』)。また、A級戦犯においてウィロビーが釈放要求を出すのに慎重だったと言われている児玉誉士夫とは、その後児玉通訳となり、「ロッキード事件」の最中変死した福田太郎を、自著翻訳者にするなど、児玉とも何らかの関係にあった推測されている。 1948年には極東委員会ソ連のクズマ・テレビヤンコ中将日本海海戦意趣返しとして戦艦三笠解体廃棄主張したが、ウィロビーは日本記念物破壊して日本人反感を買うのは避けるべきだと反論し阻止結果三笠廃棄免れた。後にチェスター・W・ニミッツ海軍元帥復興運動行った関係で日本人にはこちらの方が知られているが、ウィロビーもまた三笠にとっては恩人といえる1950年朝鮮戦争の際にウィロビーは「中国共産党軍中国人民志願軍)は介入しない」とする報告マッカーサー行いマッカーサーはこれを元にハリー・S・トルーマン大統領対し中華人民共和国参戦可能性否定した。これが全くの誤認であったことは、後に中国人民志願軍抗美援朝義勇軍)の参戦によって戦場実証されることになった

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GHQでの活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 23:08 UTC 版)

ポール・ラッシュ」の記事における「GHQでの活動」の解説

前記通り太平洋戦争後の1945年から1949年までGHQG2民間諜報局(CIS)に所属した春名幹男著書によれば民間諜報局で文書編集課長をしていた。G2残され石井ファイル731部隊隊長だった石井四郎元中将の取調及び免罪工作関与する文書)には、ラッシュの名前が記され文書多数残されている。そのことから、春名ラッシュ免罪工作に関わっていたと考えている。このほか春名は、ラッシュ有末精三らを通じて公職追放者の個人資料収集戦犯訴追資料として原田熊雄日記(『西園寺公と政局』)の発掘翻訳里見弴吉野源三郎担当)、吉田茂白洲次郎松本重治片山哲森戸辰男福島慎太郎らとの人脈形成などをおこなったとしている。 ラッシュ外交官沢田廉三・美喜夫妻麹町所有していた邸宅接収し、ここをCIS拠点CISハウス」として使用したCISハウスには戦犯訴追に関する個人情報集められ戦犯リスト作成された。ラッシュには寺崎英成をはじめ政府関係者接触し、「戦犯作り出すより、頼まれもみ消す方が多かったとされるまた、1946年1月以降は「日本共産党に関する情報収集」に当たったとされる加藤哲郎によると、ラッシュ上司に当たるチャールズ・ウィロビーとともに中国革命好意を示すジャーナリスト告発する赤狩り一環としてアグネス・スメドレー標的としたゾルゲ事件調査携わった1947年8月CIS作成した報告書について加藤哲郎ラッシュ作成指揮したではないか推定している。さらに、1949年にはスメドレーに関する情報収集一環として戦前上海リヒャルト・ゾルゲ関わりのあった川合貞吉情報源として尋問したこのあとG2川合情報源としての報酬与え日本の警察とも連携して保護警備しG2日本警察川合個人的動機共産党内情伊藤律誣告した内容をも「活用」することとなった

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