GHQによる使用禁止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:54 UTC 版)
1944年制定の大東亜戦争従軍記章の図案(左:表面、右:裏面)。敗戦後は占領軍により製造分が破棄され、さらにGHQ/SCAPが「大東亜戦争」の語の使用を禁止したため、1946年に未発行のまま廃止されて「幻の従軍記章」となった。 1945年(昭和20年)8月のポツダム宣言受諾後も、大東亜戦争の名称はしばらく使用され、11月24日には幣原喜重郎内閣が「大東亜戦争調査会官制」を公布した。 しかし12月15日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)は、日本政府に対する覚書「國家神道、神社神道ニ對スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ關スル件」(いわゆる「神道指令」) を発した。この中で「『大東亜戦争』および『八紘一宇』などの、国家神道、軍国主義、国家主義に緊密に関連する言葉」の使用を公文書において禁止することが指令された。これによって政府部内の「大東亜戦争調査会」などは「戦争調査会」と改称され、関連法令にある「大東亜戦争」の語句もすべて「戦争」に置き換えられた。 同年9月10日には「ニューズ頒布についての覚書」、9月19日には「プレス・コード(新聞規約)」が発出され、マスコミに対するGHQの規制も強化された。GHQはさらに「プレス・コードにもとづく検閲の要領にかんする細則」を発して新聞・雑誌がGHQの検閲を受けること、さらに「『大東亜戦争』『大東亜共栄圏』『八紘一宇』『英霊』のごとき戦時用語」の使用を避けるように指令した。 12月7日には朝日新聞が「太平洋戦争」の語を初めて使用し、12月8日(開戦4周年)には新聞各紙がGHQ民間情報教育局(CIE)作成の「太平洋戦争史−真実なき軍国日本の崩壊」の掲載を開始し、満州事変から太平洋戦争までを連続したものとみなし、日本の侵略と残虐行為を詳細に叙述し、他方で米軍の役割を強調するもので、東京裁判の「一部軍国主義者による共同謀議」という見方と一致するものだった。この連載は1946年(昭和21年)3月にGHQ民間情報教育局『太平洋戦争史 奉天事件から無条件降伏まで』(高山書院)として刊行し、10万部が完売し、GHQ指導で学校教育でも奨励された。 NHKで「眞相はかうだ」のラジオ放送も開始され、大東亜を広める第一歩となった。 GHQの検閲 「日本における検閲」および「プレスコード」も参照 GHQは出版物についても検閲をおこない、「大東亜戦争」表記の排除を図った。まず占領政策の前期においては、あらゆる出版物が「事前検閲」を受け、「大東亜戦争」はすべて「太平洋戦争」に書き換えられた。 占領政策後期に入ると「事前検閲」は「事後検閲」へ変更され、印刷・製本済みの出版物を占領軍が検閲し、「大東亜戦争」その他占領軍に不都合な記述(GHQへの批判等)があれば、発禁処分をおこなった。出版社は莫大な損害を蒙ることになるため、自主的に占領軍の検閲に触れるような文章を執筆する著者を敬遠し、占領軍の意向に沿わない本を出版しなくなった。江藤淳は、これを「日本人の自己検閲」と呼び、この構造が言論機関に定着するに従い検閲は占領軍によってではなく、日本人自身の手によって行われるようになったと主張している。 こうした経緯から「大東亜戦争」という用語が強制的に「太平洋戦争」に置き換えられていったとの批判がある。江藤淳は、占領軍が日本軍の残虐行為と国家の罪を強調するために行った宣伝政策 についてウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」)としている。 なお、1952年(昭和27年)4月11日に公布された「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律」(法律第81号)によって、GHQの「大東亜戦争」呼称廃止覚書は失効している。
※この「GHQによる使用禁止」の解説は、「大東亜戦争」の解説の一部です。
「GHQによる使用禁止」を含む「大東亜戦争」の記事については、「大東亜戦争」の概要を参照ください。
- GHQによる使用禁止のページへのリンク