ビーシーきゅう‐せんぱん〔‐キフ‐〕【BC級戦犯】
BC級戦犯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/08 04:33 UTC 版)
BC級戦犯(BCきゅうせんぱん)は、連合国によって布告された国際軍事裁判所条例及び極東国際軍事裁判条例における戦争犯罪類型B項「通例の戦争犯罪」またはC項「人道に対する罪」に該当する戦争犯罪または戦争犯罪人とされる罪状に問われた個人[1]の総称。A項の平和に対する罪で訴追された者は「A級戦犯」と呼ぶ[2]。
- ^ 対象は「枢軸諸国のために、一個人として、又は組織の一員として、次の各犯罪のいずれかを犯した者」(第六条)で、原則としては官吏や軍人、市民など地位や身分を問わない。
- ^ 野呂浩「パール判事研究 : A級戦犯無罪論の深層」、『東京工芸大学工学部紀要. 人文・社会編』31(2)、東京工芸大学、2008年、p43
- ^ 1948年戦争犯罪人に対する裁判と天皇の責任 法学館憲法研究所
- ^ BC級戦犯とは? 日本共産党中央委員会
- ^ 林(2005) 32-33頁。
- ^ a b 林(2005) 3頁。
- ^ 東京裁判研究会編『共同研究パル判決書(上)』(講談社、1984年)「第一章 パル判決の背景 東京裁判の概要」
- ^ (忘れられた朝鮮人戦犯:上)歴史の隙間、取り残された 朝鮮名貫いた旧日本軍中将:朝日新聞デジタルによれば、148人の内訳は軍人2人、通訳16人、警察官1人、監視員129人
- ^ 『朝鮮人BC級戦犯の記録』内海愛子 ii頁
- ^ 法務大臣官房司法法制調査部『戦争犯罪裁判概史要』
- ^ BC級戦犯裁判 林 博史著 岩波新書
- ^ 前坂 俊之 (2003年7月). 東京裁判で絞首刑にされた戦犯たち― 勝者が敗者に執行した「死刑」の手段― (PDF) (Report). 2020年10月23日閲覧。
- ^ 巣鴨遺書編纂会編「世紀の遺書」
- ^ 以下、裁判対象事件の出典は半藤一利 秦郁彦 保阪正康 井上亮『「BC級裁判」を読む』日本経済新聞社ほか。
- ^ 林(2005) 86頁。
- ^ 岩川(1995) 199-200頁
- ^ 岩川(1995) 199頁
- ^ 林(2005) 121-125頁
- ^ 岩川(1995) 237-238頁
- ^ 岩川(1995) 238-240頁
- ^ 岩川(1995) 232-234頁
- ^ 岩川(1995) 235-236頁
- ^ 岩川(1995) 220-224頁。林(2005) 126-127頁。林(1998)
- ^ 岩川(1995) 213-220頁
- ^ 林前掲岩波新書、98頁
- ^ 井上ほか(2010) 152頁
- ^ 林前掲岩波新書、97頁
- ^ 林前掲岩波新書、104頁
- ^ 林前掲岩波新書、106頁
- ^ 石井明 「中国の立場とソ連の立場」『[争論]東京裁判とは何だったのか』築地書館 1997、pp.93-102.
- ^ 林前掲岩波新書、112頁
- ^ 朝日新聞 朝刊. (1953年5月10日)
- ^ 朝日新聞. (1952年8月11日)
- ^ 朝日新聞 朝刊. (1953年8月9日)
- ^ 朝日新聞. (1953年11月5日)
- ^ 朝日新聞 朝刊. (1955年9月2日)
- ^ “社説”. 朝日新聞 朝刊. (1956年9月26日)
- ^ 中立悠紀「戦後日本における戦犯「復権」 : 戦犯釈放運動から戦犯靖国神社合祀へ」九州大学 博士論文(学術)、 17102甲第14131号、2018年、NAID 500001371063。
BC級戦犯
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「連合国軍占領下の日本」の記事における「BC級戦犯」の解説
約5600人がBC級戦犯として各地で逮捕された。横浜、上海、シンガポール、ラバウル、マニラ、マヌス島等々南方各地の50数カ所の牢獄に抑留され、約1000名が軍事裁判の結果、死刑に処された。
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