BC戦犯の逮捕とは? わかりやすく解説

BC戦犯の逮捕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 05:34 UTC 版)

BC級戦犯」の記事における「BC戦犯の逮捕」の解説

ダグラス・マッカーサー元帥厚木到着する真っ先エリオット・ソープ准将東條以下の戦争犯罪人逮捕するよう命じたGHQは、1945年9月11日東條英機など43名をはじめとして1948年7月1日までに2,636名の逮捕令状出し、2602名の容疑者逮捕・起訴した。 イギリス軍主体とする連合軍東南アジア司令部1946年5月時点で8,900名を逮捕しこの他ソビエト連邦軍アジア各国逮捕されている。正確な容疑者の逮捕総数を示す資料はないが、第一復員法務調査部では1946年10月上旬時点で約11,000名が海外逮捕されたと推計していることなどから、その数が1万名をはるかに超すものと考えられている。 日本ジュネーヴ条約赤十字条約)のひとつである俘虜の待遇に関する条約を、加入はしたもの批准していなかった(適用する連合国側には約束はしていた)事から、参謀本部軍令部にも条約への意識無く捕虜の扱いについて指示まちまちとなったその結果各部隊捕虜人権への理解届かず処刑虐待繋がり必然的に訴追対象者増加にも繋がっている(九州大学生体解剖事件油山事件など)。 戦後海軍反省会では軍令部の高級参謀達が当時振り返り、「捕虜であろうと敵は一人でも多く殺せ」という空気があり、それが軍全体行き渡ったのだろう」と証言している。この中で大佐大井篤中国三竈島における海軍民間人掃討を例に、日本兵人権人命軽視日中戦争の頃より醸成され麻痺してしまっていた事も影響した指摘している。 また、連合軍軍用機搭乗員捕虜対す扱い問題となった田中宏巳BC級戦犯」(ちくま新書)では、「航空機地上部隊戦いは『一方的に航空機攻撃加え地上部隊無力感憎悪が高まる』という具合になりやすい。この状況軍用機墜落して搭乗員捕虜となった時についさっきまで空中から一方的に自軍殺戮していた者が『捕虜になった以上ジュネーヴ条約守られる権利がある』ということなど戦場兵士にはとうてい受け入れられない」と述べている。 同書によると、石垣島米軍機搭乗員3人が捕虜となった殺害された件で(後に減刑されたが)死刑判決42という事例もあり、軍用機搭乗員捕虜殺害では全体的に死刑判決多くなる傾向にあったという。 戦犯逮捕過程では、敵軍裁き潔しとしないという理由で自らの命を絶った者もいた。主なもの挙げると、杉山元元帥陸軍大将開戦時参謀総長)は拳銃自殺橋田邦彦文部大臣)、近衛文麿元首相)の2名は服毒自殺小泉親彦東條内閣厚生大臣軍医中将)、本庄繁(元関東軍司令官陸軍大将)は割腹自殺行っている。なお東條英機(元首相陸軍大将)は自殺図った未遂終わっている。

※この「BC戦犯の逮捕」の解説は、「BC級戦犯」の解説の一部です。
「BC戦犯の逮捕」を含む「BC級戦犯」の記事については、「BC級戦犯」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「BC戦犯の逮捕」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「BC戦犯の逮捕」の関連用語

BC戦犯の逮捕のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



BC戦犯の逮捕のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのBC級戦犯 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS