3代目 510型系(1967年 - 1973年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 04:38 UTC 版)
「日産・ブルーバード」の記事における「3代目 510型系(1967年 - 1973年)」の解説
ブルーバードの歴代シリーズの中で後の910型と共に、大きな成功を収めたモデルである。1966年にはダットサンのエントリーモデルとして、1.0Lクラスの大衆車、ダットサン・サニーが発売されていたことから、ブルーバードは1.3L以上の中級モデルとして上位移行し、ボディは大型化された。当初のボディタイプは2ドア / 4ドアセダン、4ドアワゴン / 4ドアバンの4種類。社内デザイナーによる「スーパーソニックライン」と称する、直線的で彫りの深いシャープなデザインとなった。従来装備されていたフロントドアガラスの三角窓は、換気装置の強化により省略された。 メカニズムは、オースチンの影響が強かった410系までに比べて一新されている。新開発のL型(『絶版日本車カタログ』三推社・講談社、41頁参照)エンジン水冷直列4気筒SOHC(後に6気筒バージョンがスカイラインやフェアレディZに搭載される)を搭載しており、量販モデルである1.3LのL13型と、上級モデルとして1.6LのL16型を積んだ「SSS(スーパー・スポーツ・セダン)」のラインアップだった。サスペンションは日産初の四輪独立懸架(フロント:マクファーソン・ストラット、リア:セミトレーリングアーム式サスペンション)を採用。セミトレーリングアームのドライブシャフト伸縮には直前に日産と合併されていたプリンス自動車が「グロリア」後輪のドディオンアクスルに使用していた「ボール・スプライン」の技術を利用している。 日本国内では他社に先駆けた先進的設計と斬新なスタイリングをアピールし、オーソドックスな後輪車軸懸架構造ながらデラックスな装備を売りにするトヨペット・コロナとの「BC戦争」を競り合った。日本国外では、廉価でありながら欧州車並みに高度なスペックを備えた魅力的なセダンとして「プアマンズ・BMW」との評を得、ラリーフィールドでのタフネスな活躍ぶりとも相まって人気を高め、史上初めて北米市場でヒットした日本車となった。当時の米国では高校生が初めて乗るクルマとして人気を博し、その世代の米国人にとっては思い出深いクルマだという。続いて開発された初代フェアレディZと共に、北米輸出市場における日産(ダットサン)の躍進を実現した存在といえる。 1967年8月15日 - 発売。 1968年10月 - マイナーチェンジでワイパーピボット位置、フロントグリル、リアコンビネーションランプ、SSSの砲弾型フェンダーミラー形状を変更。直列4気筒SOHC L16型(1595cc)搭載モデル「ダイナミックシリーズ」を追加。DXに4速マニュアルフロアシフト車追加。 1968年11月 - コロナハードトップに対抗した2ドアクーペを追加。本車種のクーペとしては最初で最後の3連リレー式シーケンシャルウインカー(いわゆる「流れる」テール)が採用される。 1969年9月 - 一部改良。北米の安全基準に合わせ、衝撃吸収ダッシュボードを採用、インパネ形状も変更。ラジオアンテナはAピラーへ移動。 1970年9月 - 一部改良。フロントグリル、リアコンビネーションランプを再度変更。直列4気筒SOHC L18型 (1770cc) を搭載した1800SSS発売。1.3L → 1.4Lへ拡大。4ドアセダンGLを追加。 1971年9月 - ブルーバードU(610型系)の発表に伴い車種整理。1800cc車とクーペを廃止、セダン1.4L/1.6Lの廉価グレードがメインとなり、「幸せの1400」のCMキャッチフレーズで610型系との併売へ。グリル周りは樹脂パーツを多用して610型系と類似したいかついデザインに、テールランプとウインカーが独立したものに変更された。最終期にはスモールランプも独立した。SSSは出力強化(100馬力 → 105馬力)、フェンダーミラーのブラック化、革巻き風ステアリングの採用なども実施。この時期に至っても市場からの人気は高かった。 1972年12月 - 510型系生産終了。 1973年1月 - 710型系初代バイオレットの発売・販売開始に伴い、名実共に510型系販売終了。生産・販売台数は155万2263台。 モータースポーツ 1969年 - メキシカン1000マイルラリー(現行のラリー「バハ1000」の前身)でピート・ブロック/ボブ・ライアン組の510が総合4位入賞。ゼッケン89の同車はラリー終盤で右前輪ストラットのショックアブソーバーがボンネット上へ突き抜けるアクシデントがあったが、上位完走してタフネスさを証明した。 1970年 - 「第18回東アフリカサファリラリー」にて総合・チーム優勝の2冠達成。 石原プロモーションに手より映画『栄光への5000キロ』が制作、公開される。 なお、この映画の撮影は1969年の17回大会にて行われ、ゼッケン90番のロケ車が実際のラリーに出走、総合5位入賞した。ドライバーは18,19回優勝者のハーマン/シュラー組である.これは、このロケ車の活躍を日産ワークスが評価、起用したといわれている。 第18回東アフリカサファリラリー総合優勝車(ハーマン/シュラー組) 後期型 1400DX
※この「3代目 510型系(1967年 - 1973年)」の解説は、「日産・ブルーバード」の解説の一部です。
「3代目 510型系(1967年 - 1973年)」を含む「日産・ブルーバード」の記事については、「日産・ブルーバード」の概要を参照ください。
- 3代目 510型系のページへのリンク