3代目 230型系(1971年 - 1975年)
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「日産・セドリック営業車」の記事における「3代目 230型系(1971年 - 1975年)」の解説
1971年2月 - 発売。 1972年7月 - マイナーチェンジ。 1973年4月 - 昭和48年排出ガス規制適合。リアターンシグナルランプはハードトップと同様にレンズの色がアンバーに変更され、独立して点滅するようになった。
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3代目 230型系(1971年 - 1975年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 01:29 UTC 版)
「日産・セドリックセダン」の記事における「3代目 230型系(1971年 - 1975年)」の解説
ハードトップ追加によりセダンとハードトップに分かれる。このモデルよりフロントドアの三角窓が廃止になる。また、それまで別モデルであった、元プリンス自動車のグロリアと双子車になる。 1971年2月 - 発売。同時にモデルチェンジしたグロリアと基本構造を同一とし、フロントグリル、エンジンフード、リアコンビランプ、オーナメント類以外はすべて共用する姉妹車となった。 1972年7月 - マイナーチェンジ。フロントグリル、リアコンビランプの形状が変更された。 1973年4月 - 昭和48年排出ガス規制適合。セダンのリアターンシグナルランプはハードトップと同様にレンズの色がアンバーに変更され、独立して点滅するようになった。
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3代目 230型系(1971年 - 1975年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 18:36 UTC 版)
「日産・セドリック」の記事における「3代目 230型系(1971年 - 1975年)」の解説
同時にモデルチェンジしたグロリアと基本構造を同一とし、フロントグリル、エンジンフード、リアコンビランプ、オーナメント類以外はすべて共用する姉妹車となった。このモデルよりそれまでの追浜工場から栃木工場での生産となった。 ボディスタイルは流行のコークボトルラインを採り入れた。トヨタ・クラウンの2ドアハードトップに対抗するため、本モデルよりハードトップの設定がなされ、後に日本車としては初の「4ドアハードトップ」も追加された。4ドアハードトップはスポーティさと4ドアの利便性で大きな人気を博し、個人ユーザー向けの大半が4ドアハードトップとなった。ハードトップのデザインはセダンから派生した物であるが、A、Cピラー共にセダンよりも傾斜を大きくしてキャビンを縮小、セダンの丸型4灯式ヘッドランプ、大型テールランプに対し、(2・4ドア共)ハードトップでは角型2灯式ヘッドランプ、小型テールランプとする等の差別化を図っていた。ミラーもワイヤー式だがリモコンタイプが初めて採用された。 エンジンはH20型4気筒2,000 cc (92 ps) 、L20型6気筒2,000 cc(シングルキャブ115 ps、SUツインキャブハイオク仕様130 ps、SUツインキャブレギュラー仕様125 ps)、L26型6気筒2,600 cc (140 ps) 、SD20型4気筒 OHV ディーゼル(60ps)、営業車向けにLPガス仕様のL20P型6気筒2,000cc(95ps)とH20P型4気筒(80ps)が設定された。なお、L26型6気筒はバンにも搭載された(1ナンバー登録)。サスペンションは、前輪がダブルウイッシュボーン+コイルスプリングの独立、後輪が半楕円リーフのリジッドであった。 国内販売では、同時期のクラウンが斬新なボディスタイルで法人や保守的なユーザーに敬遠されたこともあり、グロリアと合わせた販売台数がクラウンを上回った唯一のモデルでもある。海外向けでは1972年(昭和47年)の日中国交正常化後、日産車で最初に中国へ輸出、販売されたモデルである。 テレビCMは発売当初、歌手の菅原洋一が出演(娘の歌織とともに出演していた)。1972年(昭和47年)のマイナーチェンジ後より、俳優の二谷英明が登場した(当初は妻で女優の白川由美と共演)。以後、二谷は1987年(昭和62年)のY30型まで長きに渡ってCMキャラクターを務めることとなる。 販売終了前月までの新車登録台数の累計は28万6281台
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