2016年 -通算1000勝-
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 09:42 UTC 版)
「白鵬翔」の記事における「2016年 -通算1000勝-」の解説
1月場所は大関・琴奨菊(秀ノ山)と共に初日から10連勝、5日目の碧山戦で北の湖と並ぶ通算951勝(史上4位タイ)となり、6日目の栃ノ心戦で歴代単独4位となる通算952勝目に。しかし11日目の琴奨菊戦で押し出されてついに初黒星。さらに14日目の稀勢の里戦でも一方的に押し出されて2敗に。この敗戦で通算200敗目を喫した。千秋楽結びの一番の日馬富士戦でも呆気無く上手投げに敗れ3敗。結局幕内優勝は、日本出身力士として大関・琴奨菊が栃東(玉ノ井)以来10年ぶりに達成した事により、白鵬は横綱昇進後2度目の3場所連続して優勝を逃す格好となった。 3月場所は自身初の3場所連続西横綱の場所となった。初日、一度も負けたことのない宝富士に寄り切られ先場所14日目から3連敗に。2日目は前頭筆頭にまで番付を上げた琴勇輝(仮・君ヶ濱)と初顔合わせの一番を制して北の湖を抜いて単独1位となる横綱通算671勝とした。その後は白星を続け、11日目にはここまで全勝の稀勢の里(荒磯)を圧倒。続く12日目には同じく1敗の豪栄道(武隈)を倒し、14日目には先場所敗れた琴奨菊に快勝し、千秋楽では日馬富士との横綱対決を制し、最終的には14勝1敗で単独優勝、36回目の幕内優勝を果たした。この場所の千秋楽結びの一番での日馬富士戦での立合いで批判を浴び、表彰式での優勝インタビューでは、涙ながらに謝罪する場面もあった。また、場所後の会見で「(36度目の優勝を)ずっと目標としてやってましたから。やっとオヤジにいい報告ができる。体を悪くして、アルツハイマーの病気をしてますから」と父がアルツハイマー病を患っていることを明かし、「難しいことを言ったら分からないところがある。最近のことが分からない。昔のことはよく思い出すみたい」と病状を説明。「支えてくれて感謝している。今度は私の番。親として3人の子供がいますからね。立派な力士を作っていきたいね」と将来の抱負も話した。 5月場所は前場所2日目からの連勝を継続し、2日目に魁皇(浅香山)の持っていた幕内最多勝利記録879勝を更新。幕内勝利数が歴代単独一位となる。4日目には初顔の正代を押し出して4連勝し初顔27連勝となり歴代単独3位に浮上。6日目には先場所からの連勝を20に伸ばし自身8度目の20連勝とする。さらに8日目で勝ち越し、自身が持つストレート給金の最多記録を41(1949年の1場所15日制定着以降)に更新。13日目には初日から同じく連勝を続けていた大関稀勢の里との全勝対決を左下手投げで制して単独トップに立った。翌日、日馬富士との横綱対決を寄り切りで制し、1敗で追っていた稀勢の里が鶴竜に寄り切りで敗れたため千秋楽を残して2場所連続37回目の優勝を決めた。14日目までに優勝を決定させるのは16度目となり、千代の富士を抜いて歴代単独1位となった。場所前に受け入れ先となってくれた摂津倉庫の浅野毅会長が、4月23日に内臓疾患で死去。「春場所が終わってから病院で30分くらい話した。息が詰まって苦しそうだった。懸賞金をそのときにあげた。喜んでくれて、奥さんが見える場所に置いてくれた。天国から見守ってくれれば、と思います。恥をかかせない、という気持ち」と記者へ恩師にささげる優勝だったことも明かした。千秋楽も激戦の末にうっちゃりで鶴竜を下して自身の最多記録を更新する12度目の全勝優勝を決めた。優勝インタビューでは「一年半ぶりの優勝が東京で本当にうれしい。全勝は気持ちいい。場所前には古傷を痛め、3日目から足を痛めていてどうなるかと思ったが自分を奮い立たせた。自分では分からないけど、土俵に上がると違う白鵬がいるようだった。土俵を下りたら優しいというね。五月場所が終わったら、横綱に昇進して10年目に入るので、頑張ろうという気持ちで一生懸命やっていた。大鵬関の32回目の優勝を超えてから目標がなくなり、いろいろ大変な時期があったけど1000勝というものが燃えさせてくれた。名古屋場所で応援してくれる方に見せられればと思うけど、ゆっくり休みたい」と話した。 7月場所は前々場所からの連勝を継続し、初日に横綱勝利700勝を記録、さらに自己記録更新となる史上6回目の30連勝を記録。3日目には御嶽海を寄り切り初顔への連勝を玉錦に並ぶ史上2位の28とした。だが、5日目に宝富士に敗れ33連勝で連勝が止まる。また、33連勝のスタート前の黒星も宝富士であった。8日目には幕内勝利900勝を記録したが、9日目に一度も負けたことのない勢に足を滑らせて敗れ2敗となり、通算12個目の金星配給。9日目までの時点で2敗したのは2012年夏場所以来4年ぶりのことである。さらに勢戦で古傷だった右足親指を痛めてしまう(場所後に骨折だったと判明)。10日目栃ノ心に勝利し、初顔合わせから23連勝の歴代2位タイ記録をつくるも、怪我が影響したか12日目の照ノ富士戦で待ったがかかり取り直したとなった取組で敗戦し3敗に後退し通算1000勝は来場所へ持ち越しになった。翌日の豪栄道戦は勝利し2ケタ勝利としたものの、14日目は12日目に続いてこの日も待ったがかかり取り直しとなった一番で土俵際で稀勢の里に逆転され優勝争いから脱落した。取組後「もういいやと思った」と照ノ富士戦に続いての待ったにリズムが崩されたことを明かし「合っているのに…」と際どい待ったで気持ちの整理が出来なかったことも呟いていた。そして、土俵際まで攻め込んでの逆転負けに「あれで負けたら仕方ない。相撲に勝って勝負に負けた」と敗戦を認め、千秋楽については「今日みたいに前に出られれば」と気持ちを切り替えていた。迎えた千秋楽、優勝をかけて土俵に上がった日馬富士に敗れ10勝5敗で場所を終えた。皆勤での1場所5敗は2012年5月場所以来4年2か月ぶりであり、休場した2015年9月場所を除くと横綱昇進以来、2012年5月場所に並ぶワーストタイの低成績である。白鵬が日馬富士に敗れたため3敗で追っていた稀勢の里、貴ノ岩は優勝次点で終了し、優勝決定戦にはならず日馬富士は8度目の優勝を決めた。 7月場所後の巡業は怪我を押して出場したものの、9月場所前には7月場所9日目の怪我の影響で四股やすり足すらできず、9月6日には手押し相撲や足の上げ下げなど軽めの調整をしながら出場を検討していた。 しかし土俵に上がれる状態ではなく、8日に日本相撲協会に「左膝タナ障害」「右母趾(ぼし)伸筋腱(けん)損傷」「右足関節炎」で全治4週間の診断書を提出し、9月場所の全休を発表した。 10月20日、大相撲秋巡業京都場所で復帰し、土俵入りを行った。 11月場所は復帰し自身初の東横綱2の番付で場所に挑む。そして、2016年11月15日、魁聖戦で勝利して通算1000勝を達成した。取組後のインタビューで、史上初めて通算1000勝を達成した千代の富士と同様に「(次の目標は)1001勝です」と答えた。しかし、6日目に遠藤に不覚をとり、さらに10日目にも土俵際で勝利したと思ったところを稀勢の里に脚一本で残され敗れてしまう。白鵬は「決まったと思った。休場で勝負勘が足りないのかもしれない」と首をかしげていた。弟弟子石浦の活躍には「一気に来たね。うれしいね」とコメントしていた。また、場所前に痛風を発症し故障の完治が遅れていたことなども判明。八角理事長は「休場明けにしてはよくやったと思う。最後に稽古不足が出た。場所前がいつも通りではなかったわけだから」とコメントした。翌日は勝利するも12日目から照ノ富士、鶴竜と連敗し優勝争いから脱落。だが、この場所14日目に優勝争いしていた横綱日馬富士、千秋楽は綱取りだった豪栄道を倒し11勝4敗で休場明けの場所を終えた。場所後の12月14日、第4子となる三女が誕生。
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