13時台時代第1期(1976年2月 - 1996年3月)
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「徹子の部屋」の記事における「13時台時代第1期(1976年2月 - 1996年3月)」の解説
1976年2月、前週までの『13時ショー』(1972年10月2日放送開始、黒柳が司会を務めた)を引き継ぐ形として放送開始。 番組開始当初は、黒柳とラビット関根(現:関根勤)が進行する「フラッシュクイズ」という視聴者参加の短いクイズコーナーがあった。「フラッシュクイズ」は、本編トークと同じスタジオで収録されていた。コーナー冒頭には関根がトークゲストのモノマネを披露し、その感想を聞くこともあった。その後、このクイズコーナーは独立して一つの番組として放送されていた時期がある。このコーナーを設けていた理由としては、地味なトークだけでは視聴率が取れないと懸念されたためだが、番組本編とのテンションの乖離が激しく、わずか1年後の1977年3月に終了。以後は番組全編をトークのみで進行している。 1976年2月2日 - 放送開始。第1回ゲストは森繁久彌。 12月6日 - 前日に行われた第34回衆議院議員総選挙の関連番組放送のため休止。 1977年3月31日 - NET(日本教育テレビ)としての最終放送日。ゲストは宇津井健。この日を最後に「フラッシュクイズ」も終了。 4月1日 - NETからテレビ朝日 に局名変更。黒柳が総合司会を務める大型特別番組『わが家の友だち10チャンネル・徹子のナマナマ10時間半』内の一本として放送(ゲストは三笠宮寛仁親王)。番組開始以来初めてセットを変更。 1978年12月29日 - ゲストにタモリが出演。以降、毎年最後の恒例ゲストとなる(2014年~2020年は出演せず)。 1979年1月5日 - ゲストに渥美清と倍賞千恵子が登場。渥美は黒柳に「お嬢さん、ほかにもっとおもしろい話をする人がいるじゃありませんか。あたしの話なんぞ、だれも聞きたくありませんよ」と言ってその後の出演は辞退したため、これが唯一の出演になった。 4月 - 関東地区で平日朝の7:50 - 8:30枠(『モーニングショー』の直前)に再放送を開始、しかしわずか1年半後の1980年9月限りで再放送を打ち切った。 11月30日 - 放送回数1000回を達成。この日のゲストは物集高量と久米宏。 1980年5月5日 - 1980年モスクワオリンピック関連大型特別番組『オリンパソン'80』放送のため休止。 5月30日 - ゲストに野際陽子が登場したこの日の放送にて、収録中に地震が発生するハプニングがあった。 10月28日〜30日 - 日本シリーズ『近鉄対広島』放送の為3日連続休止。 1981年1月1日 - お正月スペシャルとして放送。ゲストは三波伸介と小沢昭一。 4月1・2日 - 一般視聴者司会による特別企画として、黒柳が視聴者からの質問に答える企画を実施。 4月5日 - 放送5周年を記念し特別番組『今明らか!!徹子の全て』が放送された(放送時間不明)。 4月10日 - 最高視聴率14.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)を記録(この日のゲストは三浦友和)。 10月12日・10月13日 - パシフィック・リーグプレーオフ『日本ハム対ロッテ』放送のため2日連続休止。 1982年10月12日・10月14日 - パシフィック・リーグプレーオフ『西武対日本ハム』放送の為2日休止。 1983年11月18日 - 放送回数2000回を達成、帝国ホテルにて公開放送(この日のゲストは泉ピン子)。 1984年4月30日 - 『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)で人気の初代いいとも青年隊(野々村真、羽賀健二、久保田篤)が登場、局の垣根を超えたゲスト出演となった。 1985年10月29日・30日 - 日本シリーズ『阪神対西武』放送のため2日連続休止。 12月16日-20日 - 放送10周年を記念して、1週間に亘り、10年間の総集編を放送。 1986年2月3日 - 放送開始から10周年(11年目に突入)。この日のゲストは第1回放送と同様に森繁久彌。 7月7日 - 前日行われた衆参同日選挙(第38回衆院選、第14回参院選)関連のANN報道特別番組のため休止。 12月29日 - 年末恒例のタモリがゲストの回で、13時から1時間の拡大版で放送された(同日は前枠の『板東英二のビデオ自慢』(13:00-13:15、朝日放送制作)を休止)。 1987年8月3日 - 大型特別番組『カリブソン'87』内の一本として放送。ゲストは夏木陽介。 9月28日 - 放送回数3000回を達成(この日のゲストは浅丘ルリ子)。 12月28日 - 年末恒例のタモリがゲストの回で、13時から1時間の拡大版で放送された(同日は前枠の『金子信雄の楽しい夕食』(13:00-13:15、朝日放送制作)を休止)。 1988年10月27日 - 日本シリーズ『西武対中日』放送のため休止。 1989年1月6日 - 昭和最後の放送(この日のゲストは獣医師・動物園飼育員・文筆家の中川志郎)。 1月9日 - 平成最初の放送(この日のゲストは山田邦子)。 2月24日 - 昭和天皇大喪の礼関連のANN報道特別番組の為休止。 7月24日 - 前日行われた第15回参議院議員通常選挙関連のANN報道特別番組の為休止。 1990年10月24日 - 日本シリーズ『西武対巨人』放送のため休止。 1991年3月18日-22日 - 「15周年記念週間」として、有楽町マリオン内の有楽町朝日ホールから公開収録の形で放送。ゲストは久米宏、ミヤコ蝶々、杉良太郎、明石家さんま、山田五十鈴。 6月5日 - この日に出演した渡哲也・舘ひろしの放送をもって、愛煙家がゲストの場合の喫煙しながらの出演を終了。翌6日以降スタジオは完全禁煙化され、タバコまたは葉巻を吸いながら出演するゲストはいなくなった。 9月5日 - 放送回数4000回を達成(この日のゲストは南こうせつ)。 10月23日・24日・28日 - 日本シリーズ『西武対広島』放送のため3日間休止。 1992年10月22日・23日・26日 - 日本シリーズ『西武対ヤクルト』放送のため3日間休止。 1993年10月25日・28日 - 日本シリーズ『ヤクルト対西武』放送のため2日間休止。 1994年12月31日 - 14時より2時間特番『徹子の抱腹絶倒おしゃべり大晦日』が放送された。 1995年1月17日・18日 - 阪神・淡路大震災関連のANN報道特別番組のため休止となった。 5月16日 - 麻原彰晃逮捕関連のANN報道特別番組のため休止。 6月21日 - 全日空機ハイジャック事件関連のANN報道特別番組のため休止。 9月4日 - 放送回数5000回を達成(この日のゲストは高橋英樹)。
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