阪急・オリックスとは? わかりやすく解説

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阪急・オリックス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 08:37 UTC 版)

神戸総合運動公園野球場」の記事における「阪急・オリックス」の解説

当時阪急ブレーブスだった1988年昭和63年)は南海ホークスとの公式戦1試合のみ開催された。オリックス買収され1989年から2年間は準本拠地として使用同年シーズン福岡ダイエーホークス戦の全13試合(ただし2試合雨天中止となり、阪急西宮球場振替開催)と他3試合日程を当球場編成した1990年平成2年)はダイエー戦を中心にその他4球団日本ハム西武ロッテ近鉄)とのカード編成して13試合開催した主な対戦相手ダイエーになったのは、1988年秋に三和銀行(現・三菱UFJ銀行)による仲介南海ホークスダイエー買収された際にダイエー側が当球場本拠地移転させる構想があったためである。これはダイエー経営者だった中内㓛神戸市出身であり、生まれ故郷恩返しをしたいという強い意向があったことによるのであるが、兵庫県保護地域とする阪神オリックス2球団から承諾を得ることができず、断念した経緯オリックス側が配慮したためである。 1991年平成3年)から、オリックスは既に老朽化進んでおり観客動員数伸び悩んでいた阪急西宮球場から完全移転し球団愛称も「ブレーブス」から「ブルーウェーブ」に改称した1994年平成6年)にはイチロー日本プロ野球史上初のシーズン200安打達成、続く1995年平成7年)からは阪神・淡路大震災からの復興願い、「がんばろうKOBE」をスローガン掲げたオリックスパ・リーグ2連覇成し遂げ1996年平成8年)には巨人下して日本一輝いた。これらのことから本拠地である当球場知名度上げ観客動員数球団新記録記録したその後チーム順位と共に観客動員数低迷し出したことから、経営立て直しのため2005年平成17年)に大阪近鉄バファローズ球団合併することになった合併際し2005年から3年間は暫定措置として阪神と共に兵庫県大阪府の2府県保護地域とする「ダブルフランチャイズ制」が執られた。ただし、主催試合半分以上日本シリーズを行う専用球場は一ヶ所にすることになり、大阪ドーム京セラドーム大阪)をオリックス選択した2005年オリックスは当球場準本拠地として、主催68試合のうち32試合大阪ドーム34試合東京ドーム2試合)を開催したオリックス当初方針ではダブルフランチャイズ制の3年間のうちに徐々に球場試合開催減らし2008年平成20年)には10試合以下の開催にする予定であった。だが、2005年10月大阪ドーム運営する第三セクター大阪シティドーム」が会社更生法を申請し、事実上経営破綻したため2006年平成18年)は当球場専用球場変更野球協約ぎりぎりの数である主催試合半分34試合大阪ドームでも34試合)を当球場開催した。これはシリーズ間中大阪ドーム確保できない可能性があることを考慮して措置である。その後大阪シティドーム会社更生手続き進捗し大阪ドーム施設オリックスグループ傘下の「オリックスリアルエステート(現オリックス不動産)」が買収することになり、2007年平成19年)は専用球場大阪ドーム戻し球場での開催22試合にまで削減された(同年途中から京セラドーム大阪改称下京セラドームとする)。 暫定措置終了した2008年平成20年)からはオリックス大阪府阪神兵庫県保護地域したため、当球場専用球場として指定されることはなくなったが、オリックス京セラドームでの観客動員数伸び悩みなどから同年以降神戸での試合開催数を20試合程度確保する方針打ち出し、また阪神京セラドーム主催公式戦開催していることからこれ協力する姿勢をとった。両球団2008年以降試合日程開催数などについて折衝行った上で書面による同意交わしている。オリックス2008年から2010年平成22年)は22試合を当球場での開催としたが、2009年平成21年)と2010年1試合雨天中止となり京セラドームでのゲーム振り替えられている。2011年平成23年)からは京セラドームでの試合数を強化する方針から、これまで必ず行われていた阪神戦巨人戦削減され15試合にまで削減された。2012年平成24年以降引き続き15試合実施されているが、雨天中止となった場合代替開催は、予めほっともっと神戸での予備日設定されている試合除いて原則として従来通り京セラドーム振り替えられている。 なおオリックス球団は当球場準本拠地降格以降引き続き都市公園法管理許可制度の下で運営管理業務行っており、2016年まで一軍試合がない日の練習は主に当球場行っていた。また、ブルーウェーブ時代置いていた球団事務所機能大半大阪市当初北区堂島、現在は京セラドーム内)に移したものの、2016年まで選手寮が近くにあった(現在は大阪市内移転閉鎖)こともあり契約更改などで利用されていた。一方2017年平成29年においては試合数は前年までと変わらず15試合実施されたが、週末土曜日・日曜日)の開催大幅に削減され土曜日の2試合のみとなったいずれもデーゲーム試合終了後花火大会実施)。2018年平成30年)は週末開催が再び増やされたものの試合数は13試合削減され2019年は更に削減され11試合とされた。2020年新型コロナウイルス感染予防対策影響開幕6月までずれ込み、更に開幕後長距離移動削減一環日程大幅変更が行われ更に数を減らし3試合開催された。 オリックス登記上の本拠としていた時代には、週末1軍デーゲーム試合終えた後、2軍試合薄暮開催する「親子ダブルヘッダー」をしたことが多数あった。 ナイトゲーム行われる場合原則として5回の攻撃終了後花火大会花火ナイト」が実施され通常300発の花火打ち上がる2016年5月28日の対西武戦では、15時開始薄暮デーゲームとして開催し、その試合終了後19:30から「紅紅presents Bs大花火大会」を開催し通常の10倍に当たる3000発が打ち上がったほか、外野フィールド開放し観客入れた(ただし試合チケットとのセット購入前提)。2017年前年同様、プロ野球公式戦試合終了後大花火大会6月24日3000発)と7月8日2000発)に開催2018年7月7日予定されたが、集中豪雨のため試合中止。 オリックス登記上の本拠地京セラドーム一本化した後の2021年日本シリーズ進出したが、この年レギュラーシーズン東京五輪間中試合中断に加え新型コロナウィルス影響により更に日程繰り下がった結果日本シリーズ日程当初より1週間遅れとなり、第6・7戦(パ・リーグ本拠地開催が行われる予定11月27・28日は京セラドームAAAによる音楽コンサート興行されることから使用不可となり、第6・7戦はほっともっと神戸開催されることが決まった結果として第6戦までもつれることになり25年ぶりに同球場日本シリーズ試合が行われることとなった

※この「阪急・オリックス」の解説は、「神戸総合運動公園野球場」の解説の一部です。
「阪急・オリックス」を含む「神戸総合運動公園野球場」の記事については、「神戸総合運動公園野球場」の概要を参照ください。

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