阪急・オリックス
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「神戸総合運動公園野球場」の記事における「阪急・オリックス」の解説
当時阪急ブレーブスだった1988年(昭和63年)は南海ホークスとの公式戦が1試合のみ開催された。オリックスに買収された1989年から2年間は準本拠地として使用。同年シーズンは福岡ダイエーホークス戦の全13試合(ただし2試合が雨天中止となり、阪急西宮球場で振替開催)と他3試合の日程を当球場で編成した。1990年(平成2年)はダイエー戦を中心にその他4球団(日本ハム・西武・ロッテ・近鉄)とのカードも編成して、13試合を開催した。主な対戦相手がダイエーになったのは、1988年秋に三和銀行(現・三菱UFJ銀行)による仲介で南海ホークスがダイエーに買収された際にダイエー側が当球場に本拠地を移転させる構想があったためである。これはダイエーの経営者だった中内㓛が神戸市の出身であり、生まれ故郷に恩返しをしたいという強い意向があったことによるものであるが、兵庫県を保護地域とする阪神とオリックスの2球団から承諾を得ることができず、断念した経緯にオリックス側が配慮したためである。 1991年(平成3年)から、オリックスは既に老朽化が進んでおり観客動員数が伸び悩んでいた阪急西宮球場から完全移転し、球団愛称も「ブレーブス」から「ブルーウェーブ」に改称した。1994年(平成6年)にはイチローが日本プロ野球史上初のシーズン200安打を達成、続く1995年(平成7年)からは阪神・淡路大震災からの復興を願い、「がんばろうKOBE」をスローガンに掲げたオリックスがパ・リーグ2連覇を成し遂げ、1996年(平成8年)には巨人を下して日本一に輝いた。これらのことから本拠地である当球場も知名度を上げ、観客動員数も球団新記録を記録した。 その後はチームの順位と共に観客動員数は低迷し出したことから、経営立て直しのため2005年(平成17年)に大阪近鉄バファローズと球団合併することになった。合併に際し、2005年から3年間は暫定措置として阪神と共に兵庫県と大阪府の2府県を保護地域とする「ダブルフランチャイズ制」が執られた。ただし、主催試合の半分以上と日本シリーズを行う専用球場は一ヶ所にすることになり、大阪ドーム(京セラドーム大阪)をオリックスは選択した。2005年にオリックスは当球場を準本拠地として、主催全68試合のうち32試合(大阪ドーム34試合、東京ドーム2試合)を開催した。オリックスの当初の方針ではダブルフランチャイズ制の3年間のうちに徐々に当球場の試合開催を減らし、2008年(平成20年)には10試合以下の開催にする予定であった。だが、2005年10月に大阪ドームを運営する第三セクター「大阪シティドーム」が会社更生法を申請し、事実上経営破綻したため、2006年(平成18年)は当球場を専用球場に変更。野球協約ぎりぎりの数である主催試合の半分、34試合(大阪ドームでも34試合)を当球場で開催した。これはシリーズ期間中に大阪ドームを確保できない可能性があることを考慮しての措置である。その後大阪シティドームの会社更生手続きが進捗し、大阪ドームの施設はオリックスグループ傘下の「オリックスリアルエステート(現オリックス不動産)」が買収することになり、2007年(平成19年)は専用球場を大阪ドームに戻し当球場での開催が22試合にまで削減された(同年途中から京セラドーム大阪に改称 以下京セラドームとする)。 暫定措置が終了した2008年(平成20年)からはオリックスが大阪府、阪神が兵庫県を保護地域としたため、当球場は専用球場として指定されることはなくなったが、オリックスは京セラドームでの観客動員数の伸び悩みなどから同年以降も神戸での試合開催数を20試合程度確保する方針を打ち出し、また阪神も京セラドームで主催公式戦を開催していることからこれに協力する姿勢をとった。両球団は2008年以降、試合日程や開催数などについて折衝を行った上で、書面による同意を交わしている。オリックスは2008年から2010年(平成22年)は22試合を当球場での開催としたが、2009年(平成21年)と2010年は1試合が雨天中止となり京セラドームでのゲームに振り替えられている。2011年(平成23年)からは京セラドームでの試合数を強化する方針から、これまで必ず行われていた阪神戦と巨人戦が削減されて15試合にまで削減された。2012年(平成24年)以降も引き続き15試合が実施されているが、雨天中止となった場合の代替開催は、予めほっともっと神戸での予備日が設定されている試合を除いて、原則として従来通り京セラドームに振り替えられている。 なおオリックス球団は当球場の準本拠地降格以降も引き続き、都市公園法の管理許可制度の下で運営管理業務を行っており、2016年まで一軍の試合がない日の練習は主に当球場で行っていた。また、ブルーウェーブ時代に置いていた球団事務所は機能の大半を大阪市(当初は北区堂島、現在は京セラドーム内)に移したものの、2016年までは選手寮が近くにあった(現在は大阪市内に移転、閉鎖)こともあり契約更改などで利用されていた。一方、2017年(平成29年)においては、試合数は前年までと変わらず15試合が実施されたが、週末(土曜日・日曜日)の開催は大幅に削減され土曜日の2試合のみとなった(いずれもデーゲーム、試合終了後に花火大会を実施)。2018年(平成30年)は週末の開催が再び増やされたものの試合数は13試合に削減され、2019年は更に削減され11試合とされた。2020年は新型コロナウイルス感染予防対策の影響で開幕が6月までずれ込み、更に開幕後も長距離移動削減の一環で日程の大幅変更が行われ更に数を減らし3試合が開催された。 オリックスが登記上の本拠としていた時代には、週末に1軍のデーゲームの試合を終えた後、2軍の試合を薄暮開催する「親子ダブルヘッダー」をしたことが多数あった。 ナイトゲームで行われる場合、原則として5回の攻撃終了後に花火大会「花火ナイト」が実施され、通常300発の花火が打ち上がる。2016年5月28日の対西武戦では、15時開始の薄暮デーゲームとして開催し、その試合終了後の19:30から「紅紅presents Bs大花火大会」を開催し、通常の10倍に当たる3000発が打ち上がったほか、外野フィールドを開放し観客を入れた(ただし試合チケットとのセット購入が前提)。2017年も前年同様、プロ野球公式戦試合終了後に大花火大会を6月24日(3000発)と7月8日(2000発)に開催。2018年は7月7日に予定されたが、集中豪雨のため試合中止。 オリックスは登記上の本拠地を京セラドームに一本化した後の2021年に日本シリーズに進出したが、この年のレギュラーシーズンは東京五輪期間中の試合中断に加え新型コロナウィルスの影響により更に日程が繰り下がった結果、日本シリーズの日程が当初より1週間遅れとなり、第6・7戦(パ・リーグ本拠地開催)が行われる予定の11月27・28日は京セラドームでAAAによる音楽のコンサートが興行されることから使用不可となり、第6・7戦はほっともっと神戸で開催されることが決まった。結果として第6戦までもつれることになり25年ぶりに同球場で日本シリーズの試合が行われることとなった。
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