阪急メンズ・トーキョー
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「阪急百貨店」の記事における「阪急メンズ・トーキョー」の解説
1984年(昭和59年)10月6日にグループ企業の東宝が朝日新聞社などと共に建設した有楽町マリオン内に有楽町西武と共に開業した。 同じ有楽町マリオン内の別棟に進出して情報発信型百貨店を標榜した有楽町西武と共にマリオン現象と呼ばれるほどのブームを巻き起こし、有楽町から銀座の人の流れを変えたといわれた。 当初は地下食料品売り場が存在したが2000年(平成12年)7月月末で食料品売場を閉鎖して9月からファッション売場としてファッション専門百貨店となった。 若い女性の根強い支持を集めて2005年(平成17年)3月期に売上高約140.99億円、2006年(平成18年)3月期に売上高約145.76億円、2007年(平成19年)3月期に売上高約145.78億円と比較的安定した売上を保っていた。 しかし、同様に若い女性の根強い支持を集めている丸井が2007年(平成19年)10月12日に有楽町マルイを直ぐ近くに開業させて競争が激化したことに対応して化粧品売場などの改装を行ったが、主力の婦人服が低迷して2008年(平成20年)3月期で前期比5.0%減の売上高約138.5億円と売上が減少に転じた。 さらに、リーマンショック後の消費低迷を受けて2009年(平成21年)3月期に売上高約121.45億円、2010年(平成22年)3月期に売上高約98.85億円、2011年(平成23年)3月期で売上高約84.62億円と急速に売上が落ち込み、売り場面積が小さいため増床した三越銀座店などと婦人衣料で競争し続けるのは困難だとして有楽町西武の跡にルミネが開業するのに合せて業態転換を図ることになった。 2011年(平成23年)7月18日に有楽町阪急としての営業を終了し、同年10月15日に全面改装のうえ、メンズファッション専門館である「阪急メンズ・トーキョー」として開業して黒字転換を図り、改装後の売上は前年同期比で61.0%の増加として売上を回復させた。 新装開店時のキャッチフレーズは「世界が舞台の、男たちへ。」、イメージキャラクターに、歌舞伎俳優の市川海老蔵が起用された。 複数のブランドの商品を一緒に並べた自主編集の売場が主体となっていて、顧客が自由に手に取って商品を見比べることが出来ると同時に複数ブランドを合せた提案を店員が出来る点で近隣の銀座地区に多い有名ブランドの路面店との差別化を図っている。 2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は主力店を担当する第一店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した。 同じ有楽町マリオン内にあった有楽町西武は2010年(平成22年)12月25日に閉店し、その跡地にJR東日本グループのファッションビルであるルミネが2011年(平成23年)10月28日に開店している。 「有楽町センタービル」も参照
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