警戒発令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 13:09 UTC 版)
詳細は「ダバオ誤報事件」を参照 1944年9月9日、日本海軍の見張所から敵ダバオ上陸の虚報が入って日本軍が混乱するダバオ誤報事件が発生する。この際、連合艦隊司令長官豊田副武大将は、敵ダバオ上陸の報を受け、午後3時15分に「捷一号作戦警戒」を発令、午後3時32分に先遣部隊指揮官に対して中型潜水艦全力を急遽出撃せしむべき旨を下令した。大本営では陸海軍部作戦連絡会議を開催し、捷一号作戦発動の要否ならびにその時期について検討し、ここ2、3日航空実働兵力の急速整備を図ったうえ、必要なら発動を令することに決めた。しかし、現地から敵上陸の方が虚報であることが知らされると、11日早朝、連合艦隊司令長官は「捷一号作戦警戒」ならびに南西方面部隊に対する敵上陸船団の攻撃に関する命令をそれぞれ取り消した。 詳細は「台湾沖航空戦」を参照 10月1日、戦時編成の変更が行われ、第三航空戦隊司令部は廃止され第一機動艦隊司令部の直率とし、新たに第一航空戦隊司令部が新設され古村啓蔵少将が司令官となる。 10月9日、南鳥島は突如アメリカ軍艦隊の砲撃を受ける。また鹿屋基地からでた哨戒機も消息を絶った。翌10日、南西諸島沖に出現したアメリカ軍機動部隊は沖縄・奄美大島・沖永良部・南大東・久米・宮古の各島を空襲する。この時豊田副武連合艦隊司令長官は比島の視察を終えて台湾の新竹におり、草鹿龍之介参謀長の判断で「捷二号作戦警戒」が発令される。 15時20分には鹿屋から出撃した索敵機の1機がアメリカ軍機動部隊を発見するがこの日のT攻撃部隊による夜間攻撃は断念される。翌10日はアメリカ軍機動部隊に先制され、06時45分頃よ沖縄を含む各島は再び空襲を受ける。この空襲で陸海軍機約45機を失い、潜水母艦迅鯨など艦艇22隻が撃沈された。しかしアメリカ軍機動部隊の行方は再び不明となり、12日未明に台湾東港から出た索敵機が発見するまでそれは続いた。 連合艦隊司令部は12日10時25分、「基地航空隊捷一号及び二号作戦発動」を発令した。 第二航空艦隊を基幹とする第六基地航空部隊は15日にかけて敵機動部隊撃滅を果たすべく航空撃滅戦を展開する。この戦いで第二航空艦隊は大打撃を被るが、生還した乗員の報告などから敵機動部隊にも大打撃(空母11隻・戦艦2隻・巡洋艦3隻を撃沈)を与えたと判断する。しかし15日にほぼ無傷の空母群が3個発見され、10月17日にレイテ湾口近くのスルアン島にアメリカ軍の一部が上陸、以後攻略部隊の大群がレイテ湾に侵入したことで、アメリカ軍機動部隊は健在であることが判明する。第二航空艦隊は19日より、残った戦力の台湾から比島への緊急展開を指示。台湾沖航空戦の傷も癒えぬままレイテ沖海戦を迎えることになる。 第六基地航空部隊の10月19日時点での在台湾航空兵力は以下の通りだった。第二航空艦隊の他、第三艦隊から転用した第三第四航空戦隊所属機や第三航空艦隊から増派された機なども含む。また大損害を受けた在九州のT攻撃部隊(陸攻など)は投入を見送られた。 甲戦闘機(零戦各型):保有数253機、内稼働数146機 乙戦闘機(紫電ほか):保有数41機、内稼働数30機 丙戦闘機(月光ほか):保有数9機、内稼働数3機 艦上爆撃機(九九式艦爆、彗星):保有数61機、内稼働数17機 艦上攻撃機(天山):保有数22機、内稼働数20機 陸上爆撃機(銀河):保有数2機、内稼働数1機 飛行艇(九七式飛行艇):保有数7機、内稼働数3機 艦偵(彩雲ほか):保有数3機、内稼働数1機 また損耗したT攻撃部隊の代わりとして木更津で哨戒任務に就いていた第五十一航空戦隊(第十二航空艦隊所属)攻撃七〇二飛行隊を18日付で第六基地航空部隊に編入した。同飛行隊は 陸上攻撃機(一式陸攻):保有数49機、内稼働数26機 であった。 第一航空艦隊は、陸軍との共同での敵機動部隊への攻撃を目指した共同攻撃法の実地訓練をするため、部隊はルソン島クラーク基地に集結しており、11日には各指揮官を招致していた。米機動部隊侵攻の報告を受けた第一航空艦隊は攻撃準備を開始し、13日に稼働全機をあげての攻撃が計画された。攻撃隊は陸攻、天山、彗星計30機に零戦70機(一部は爆装)、陸軍の四式戦40機、三式戦30機だった。攻撃隊は13時に出撃するがこの日は730mmの低気圧に進撃を阻まれ、一部は敵機と交戦するものの、結局進撃はならずフィリピン北岸の各基地に帰投した。15日には敵機動部隊発見の報を受けて第一次攻撃隊として零戦19機、爆装零戦7機を出撃させ奇襲攻撃に向かわせ、同隊は敵機動部隊を攻撃。爆装零戦6機を失うも空母1隻に至近弾、巡洋艦1隻に命中弾を与えた。一方来襲したアメリカ軍機40機を零戦約50機で応戦、27機を撃墜するが零戦も13機を失った。14時には第二次攻撃隊の陸攻3機、天山12機、零戦13機、陸軍戦闘機63機が出撃した。第二次攻撃隊も敵機動部隊を攻撃し空母1隻撃沈を報じたが、陸攻3機・天山8機・零戦3機・陸軍戦闘機9機を失った。またこの時第二十六航空戦隊司令の有馬正文少将が自ら陸攻に乗り込み出撃し戦死している。これら一連の航空攻撃により、10月16日時点での第一航空艦隊の航空戦力は零戦12~16機・彗星1機・銀河2機・陸攻3機・天山7機・月光1機にまで激減。ほぼ戦力を喪失した状態で、翌17日のアメリカ軍攻略部隊のレイテ接近を迎えることになる。 第三艦隊は、12日より始まった台湾沖航空戦では連合艦隊からの「当分は機動部隊は使用しない」という約束を受けて、錬成途上の第三第四両航空戦隊の所属機が台湾に向かう。しかし航空戦は殆ど戦果を挙げれずに損害のみ多大となり、派遣した航空隊も大損害を被ってしまう。17日になるとアメリカ軍がスルアン島に上陸し、レイテ沖海戦が本格化する。すると連合艦隊はそれまでの発言を撤回し機動部隊の捷一号作戦への投入を決定する。航空戦力のない機動部隊は年末錬成完成予定だった第一航空戦隊の航空兵力のうち、空母着艦の経験のある搭乗員などをかき集め、何とか100機余の航空機を揃え、敵機動部隊の北方誘致と基地航空隊と共同してこれの殲滅を目指し出撃した。 14日、敵機動部隊に大打撃を与えたと判断した連合艦隊は第二遊撃部隊(第二十一戦隊・第一水雷戦隊)に対して残敵掃討の出撃命令を下令する。空母直衛戦力である第61駆逐隊や錬成訓練中の第十一水雷戦隊はこの出撃から外された。部隊は15日0時に岩国を出撃し南下を続けたが、16日以降アメリカ軍機動部隊が健在である兆候があることなどから16日正午に南下を取りやめ北上を開始、台湾馬公に向かいそこで待機することにした。しかし17日にアメリカ軍がスルアン島に上陸し、レイテ沖海戦が始まったことで第二遊撃部隊は本来の任務であった「機動部隊の前衛」を果たすことなく、南西方面部隊への所属替えの上レイテ湾に突入することになる。
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