伊号第四十七潜水艦とは? わかりやすく解説

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伊号第四十七潜水艦

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伊号第四十七潜水艦(いごうだいよんじゅうななせんすいかん、旧字体:伊號第四十七潜水艦)は、日本海軍潜水艦伊十六型潜水艦(巡潜丙型)[3]の7番艦[4]佐世保海軍工廠で建造された[5]人間魚雷回天」を甲板に搭載可能[6][注 1]1944年(昭和19年)7月10日に竣工し、訓練部隊に所属したあと[9]、10月上旬より第15潜水隊に所属した[10][11]。 同年11月、回天特別攻撃隊「玄作戦[12]菊水隊として内海西部を出撃[13]仁科関夫中尉らが搭乗した回天4基の母艦としてウルシー環礁を襲撃し、回天戦により油槽船ミシシネワを撃沈した[14][注 2]。 その後も回天作戦に多数参加し、終戦を迎えた[注 3]。翌年4月1日、海没処分[20]


注釈

  1. ^ 初期作戦(菊水隊、金剛隊)時は回天4基だったが[7]、その後は回天6基搭載可能となった[8][3]
  2. ^ 伊47搭乗の菊水隊員は、仁科関夫中尉、福田斉中尉、佐藤章少尉、渡辺幸三少尉、以上4名[15]
  3. ^ 伊47が参加した回天作戦は、第一次玄作戦/菊水隊[16]、第二次玄作戦/金剛隊[17]、多々良隊[18]、天武隊、多聞隊であった[19]
  4. ^ 重本は陽炎型駆逐艦親潮沈没時の航海士で[25]、戦艦長門乗組を経て潜水艦乗りを志願した[26]1944年(昭和19年)5月5日付で、伊47艤装員となる[27]。第一次回天特攻攻撃隊(菊水隊)で伊37に乗艦した上別府宣紀大尉(戦艦陸奥爆沈時の生存者[28]特四式内火艇を経て回天搭乗員)と重本は、海兵同期[29]
  5. ^ (昭和19年8月、第十戦隊戦時日誌)[36]〔 (ロ)第六十一駆逐隊(1)初月秋月 二日附乙直接護衛部隊ヨリ除カレ第二遊撃部隊ニ編入瑞鳳ヲ警戒三日内海西部着 六日内海西部発 初月ハ佐世保ニ秋月ハ長崎ニ夫々囘航入渠整備ニ從事 十九日出渠 二十日秋月ハ佐世保ニ囘航 二十四日初月秋月佐世保發 初月ハ二十五日油谷湾ニ囘航雪風ト共ニ三十日迄同方面ニ於テ對潜聯合訓練ニ從事三十一日内海西部ニ囘航 秋月ハ二十五日内海西部ニ囘航同方面ニアリテ月末迄諸訓練ニ從事ス 〕
  6. ^ (昭和19年8月、第十戦隊戦時日誌)[37]〔 (ホ)第十七駆逐隊(中略)(4)雪風 引續キ因島ニ於テ修理工事ニ從事中ノ所十二日ヲ以テ右完成呉ニ回航同地ニ於テ出撃準備ヲ整ヘ十八日桂島ニ回航内海西部ニ於テ諸訓練ニ從事 二十五日油谷湾ニ囘航三十日迄同方面ニ於テ對潜聯合訓練ニ從事 三十一日同地發平群島皈着 〕
  7. ^ 第二遊撃部隊の指揮官は第五艦隊司令長官志摩清英中将:第二十一戦隊(那智足柄)、9月10日新編の第二戦隊(山城扶桑[39]第一水雷戦隊(軽巡阿武隈、第7駆逐隊〈〉、第18駆逐隊〈 不知火〉、第21駆逐隊〈若葉初霜初春〉)、第十一水雷戦隊(軽巡多摩、松型駆逐艦)[40]第四航空戦隊隼鷹龍鳳日向伊勢[41]第三航空戦隊の一部や第61駆逐隊など[42]
  8. ^ (昭和19年10月10日)10時58分の連合艦隊電令作第335号および11時01分電令[48]〔 南西諸島方面ニ出現セル敵機動部隊ノ動静如何ニ依リテハ玄作戦参加以外ノ潜水艦中作戦可能ノモノヲ以テ之ガ邀撃ニ任ゼシメラルル予定 尚玄作戦ハ予定通実施セラルルモ 敵攻略部隊出現セル場合ハ取止メラルル内意ナリ 〕
  9. ^ (昭和19年10月10日)15時48分〔 第六艦隊機密第一〇一五四八番電 (イ)イ26イ45イ54ハ訓練ヲ止メイ53ハ回天実験終了後 呉ニ帰投速ニ出撃準備/(ロ)イ37ハ佐世保ニ於テ急速出撃純b言待機/(ハ)イ47、イ56ハ夫々横須賀、呉ニ於テ整備及戦備ヲ促進セヨ 〕[49]
  10. ^ 出撃中(伊26、伊45、伊54、伊56)、出撃を期待できるもの(伊44、伊53、第15潜水隊〈伊38、伊41、伊46〉、呂41、呂43、呂46、呂109、呂112)であった[54]
  11. ^ 豊田副武連合艦隊司令長官は10月初旬より台湾やマニラを視察しており、同18日時点では不在、20日になり日吉にもどった[57]
  12. ^ 伊26、伊38、伊41、伊44、伊45、伊46、伊54。
  13. ^ 連合艦隊参謀長草鹿龍之介中将より第六艦隊司令長官三輪茂義中将へ(10月21日)[60]〔 今後出撃スベキ伊号第三十六潜水艦、伊号第三十七潜水艦、伊号第四十七潜水艦ニハ「回天」ヲ搭載ノコトトシ 比島方面ノ敵上陸点付近敵艦隊ニ対シ好機ニ投ズル挺身攻撃ヲ実施致度準備竝ニ研究ヲ進メアリ 〕
  14. ^ 1944年(昭和19年)8月より大津島には回天訓練基地(第一特別基地隊、第二部隊)が置かれており、9月より回天の訓練がおこなわれた[63]。回天開発者のひとり黒木博司大尉(海機51期、ミッドウェー海戦時は少尉として戦艦山城機関科分隊)[64]は9月6日-7日の回天訓練中事故により樋口孝大尉(海兵70期)と共に殉職した[65]
  15. ^ 11月5日午前11時42分[67](連合艦隊電令作第400号)先遣部隊指揮官ハ左ニヨリ玄作戦ヲ実施スベシ 一 西カロリン諸島方面在泊中ノ敵機動部隊ヲ捕捉「回天」ヲ以テ挺身奇襲ス/二 攻撃時期 十一月二十日頃/三 兵力 第十五潜水隊ノ行動中ノ一部潜水艦ヲ以テ隠密実施ス 
  16. ^ 渦は前部に受けた40mm機銃弾の炸裂で出来た破孔から浸水し前が重くなったためか、或いは横舵系統を破壊されたためかの理由で、そのまま水深42mの海底に突き刺さり、推進器が回転を続けていたことにより海水を攪拌して形成されたものと思われる。
  17. ^ 爆雷の衝撃でハッチの掛け金が外れて開き、中の空気とともに艇外に流れ出たものと思われる。
  18. ^ (伊47部分)[72]一 伊四七潜ハ二十日〇三二八ヨリ〇三四二迄ニ 同南泊地南東数浬ノ地点ニ於テ四基発進 〇四一六及〇四二二各大火柱及付近大火災ヲ確認 〇四三〇哨戒艇ヲ発見潜航セルガ〇五五〇ヨリ〇六〇〇迄ニ大爆発音数発ヲ聴知シアリ(以下略)
  19. ^ 8名の内訳は[97]、警備隊1名、パイロット1名、航空機整備員3名、軍属3名。
  20. ^ 伊47砲術長の佐藤秀一中尉は、川久保中尉と海兵同期だった[103]。また折田艦長と川久保も鹿児島県出身で、川久保の兄3人は海軍軍人として既に戦死していた[103]
  21. ^ (1月14日報告着、1月15日奏上)[107]〔 伊号第四十七号潜水艦ハ十二日三時三十分「ホーランヂァ」ノ敵在泊艦船ニ対シ回天ヲ発進セシメ五時噴火焔ヲ確認致シマシタガ五時過ギ同地ガ「SOS」ヲ連送スルノヲ傍受致シテ居リマシテ 我ガ奇襲ガ成功致シタモノト認メラレマス 〕
  22. ^ 日本側は金剛隊の戦果について、護衛空母1、大型輸送船9、タンカー1、巡洋艦1、有力艦船6(空母、戦艦、輸送船を含む)、合計18隻撃沈であった[110]
  23. ^ 重本大尉は海軍潜水学校高等科入学を命じられ[115]波号第二百四潜水艦の潜水艦長として終戦を迎えた[116]
  24. ^ 柿崎中尉艇により大型駆逐艦撃沈、山口一曹艇により大型輸送船撃沈、古川上曹艇により大型駆逐艦撃沈という認定であった[128]
  25. ^ 前田中尉艇により特空母または軽巡撃沈という認定であった[128]
  26. ^ 機密聯合艦隊告示(布)第一〇四号(二〇.六.五)[132]〔 回天特別攻撃隊天武隊 第六艦隊司令部附 海軍中尉柿崎實/同 同 前田肇/同 海軍上等兵曹 古川七郎/同 同 山口重雄/伊号第四十七潜水艦ニ乗艦シ沖繩島南東方面海面ニ於テ昭和二十年五月二日敵大型輸送船一隻駆逐艦二隻 五月七日「レアンダー」型敵巡洋艦一隻ニ対シ囘天ヲ以テ体当リ攻撃ヲ敢行シ各一隻ヲ轟撃沈ス 〕

出典

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  144. ^ “旧日本軍の潜水艦「伊58」撮影に成功 長崎県沖”. NHK NEWS WEB. (2017年9月7日). オリジナルの2017年9月7日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/E7MW8 
  145. ^ “旧日本海軍潜水艦:「伊58」など8隻を特定 五島列島沖”. 毎日新聞. (2017年9月7日). https://mainichi.jp/articles/20170907/k00/00e/040/212000c 


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