仁科関夫とは? わかりやすく解説

仁科関夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/04 14:30 UTC 版)

仁科 関夫(にしな せきお、1923年大正12年)4月10日 - 1944年昭和19年)11月20日)は、日本海軍軍人海兵71期太平洋戦争大東亜戦争)の末期、人間魚雷回天」を創案するとともに自らも出撃して戦死した。最終階級は海軍少佐[1][2]


  1. ^ 海軍中佐上別府宜紀外八名叙位の件 p.2」 アジア歴史資料センター Ref.A12090747400 
  2. ^ a b 昭和20年5月8日(発令昭和19年11月20日付)海軍辞令公報(甲)第1793号 p.18」 アジア歴史資料センター Ref.C13072104700 
  3. ^ 昭和17年10月27日(発令10月26日付)海軍辞令公報(部内限)第972号 pp.29-30」 アジア歴史資料センター Ref.C13072087400 
  4. ^ #高松宮日記5巻207-208頁『十一月十四日(土)』
  5. ^ a b 昭和17年11月14日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第987号 p.8少尉候補生任官、p.26長門乗組」 アジア歴史資料センター Ref.C13072088100 
  6. ^ 昭和18年1月15日(発令1月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1031号 p.39」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089000 
  7. ^ 昭和18年6月1日(発令6月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1127号 p.20」 アジア歴史資料センター Ref.C13072091200 
  8. ^ 昭和18年6月1日(発令6月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1133号 p.20」 アジア歴史資料センター Ref.C13072091400 
  9. ^ 昭和18年10月15日(発令10月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1240号 p.28」 アジア歴史資料センター Ref.C13072093800 
  10. ^ 昭和19年3月15日(発令3月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1370号 p.18」 アジア歴史資料センター Ref.C13072096600 
  11. ^ 昭和19年7月17日(発令7月10日付)海軍辞令公報(部内限)第1537号 p.28」 アジア歴史資料センター Ref.C13072100000 
  12. ^ 昭和19年12月1日(発令12月1日付)海軍辞令公報(甲)第1657号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C13072102100 
  13. ^ Kindai saku o hiraita hitotachi. Katsumi Nakamura, 勝実 中村. 櫟. (1994). ISBN 4-900408-52-2. OCLC 675659792. https://www.worldcat.org/oclc/675659792 


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