被害者・遺族への報道被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 14:22 UTC 版)
「桶川ストーカー殺人事件」の記事における「被害者・遺族への報道被害」の解説
事件発生後、遺族の元にはマスコミ各社の人員が大挙して訪れ、「集中豪雨型取材」といわれる取材過熱現象が起こった。遺族宅周辺はマスコミに包囲され出入りもままならないほどになり、遺族が姿を現すとコメントを取ろうとする記者から次々にマイクが差し出され、玄関の扉越しにコメントを求める声は、深夜1時過ぎまで続くこともあった。また、被害者の葬儀においては、葬儀社に「被害者の父親から許可を得た」と虚偽の申告を行い、葬儀場の祭壇を撮影しようとしたテレビ局も存在した。遺族は「放送と人権等権利に関する委員会機構(BRO)」に窮状を訴え、これを受けたBROはマスコミに向けて要望書を出したが状況は変わらず、やむなく代理人の弁護士が取材活動についての自制を求め、場合によっては法的措置をとることを通達すると、これを境に遺族への取材は急速に止んだ。 事件発生からしばらくは犯人についての情報が乏しかったことから、マスコミの注目は被害者の私生活へと向けられた。そして週刊誌を中心として、被害者について「ブランド狂いだった」「風俗店に勤務していた」といった情報が次々と報道された。しかしこうした情報は正確性を欠いたものであった。 まず「ブランド品の所持」が注目されたことについては、その前置きとなる出来事があった。警察が事件の第一報を発表する際に、被害者の所持品に「グッチの腕時計」「プラダのリュックサック」があると発表していたのである。しかし警察発表で被害者の所持品についてブランド名まで伝えるということは普通ではありえず、これは警察が自らの怠慢捜査に注目が向かないよう「放蕩した女性が事件に巻き込まれた」という印象を与えようと、意図的にそうした情報を公開したという見方がある。のちに事件の調査報道に奔走することになる『FOCUS』記者の清水潔(後述)も、自身も含めて「今時の女子大生、別に特に変わった服装ではなかったが、現場にいた新聞記者、中年の記者とかその辺りの人物からすると、これはもう遊んでいる女の子だなというようなところがスタートになっているような気がした」と述懐し、また著書の中では、そうしたブランド名が事件報道の中で「今時の、遊び好きの、派手目の女の子を表すための記号」になったと指摘している。 友人の証言では、被害者は「安い物をうまくとりいれる」ファッションセンスの持ち主であり、ブランド志向とは逆に、気に入った物が数百円など望外に安かったことを喜ぶような傾向もあったという。ブランド品も所持してはいたが、発表にあったような小物類のみであった。警察発表にもあったグッチの腕時計を実見した清水潔は「相当に使い込まれ、銀色の本体もベルトも、無数に細かい傷が付いていた」「なんということもない、鈍い輝きを放っているだけだった。二十代の女性がよく腕に巻いているような、それほど高価でもなく、おそらくは大事に、長い期間、使い込まれた時計」だったとしている。 一部には「性風俗嬢」とまで報道されていた「風俗店勤務」という点は、殺害される1年ほど前に、スナックにアルバイト勤務に入った友人から「ひとりでは心細い」と頼み込まれ、一緒に勤務したことがそのように解釈されていたのだった。このとき被害者は「自分はお酒を飲んだ人の相手はできない」として、2週間ほどで給料も受け取らず辞めていた。一緒の勤務を頼んだ友人は後に報道被害の様相をみて「被害者の家族にも、本当に申し訳ないことをした」と述べている。 また、テレビのワイドショーにおいても、コメンテーターによる根拠不明な憶測や、事件の全貌が明らかになってから振り返ればまったく見当外れな意見が様々な番組で流され、それらはあとで訂正されることもなく「言いっぱなし」の状態となった。ジャーナリストの佐野眞一は、多くのマスメディアによる報道姿勢を次のように批判した。 この事件を大メディアはどう報じたか。警察情報を垂れ流しするだけだった。とりわけテレビのワイドショーでは、非常に残忍で憎むべき事件だが、殺された(被害者)にも問題はなかったか、という論調の番組を毎日のように流しつづけた。それによって、つき合っていた男友達に現金をねだったり、ブランドもののプレゼントをせびる、といういまどきの女子大生というイメージを彼女の上に付着していった。ところが、それは全部警察がでっちあげた虚偽の情報だった。メディアは警察情報をなにひとつ検証することなく、(被害者)の人格を傷つけていった。(被害者)はストーカーの男たちによって殺害されたばかりか、メディアという名のストーカーによって、今度は耐えがたい汚名を着せられていったのである。 — 『メディアの権力性』「報道と権力をめぐる対峙と癒着」より。斜体括弧部分は本記事編集者による改変。 後述する報道番組『ザ・スクープ』による本事件の特集第5回放送では、報道被害の検証に加え、被害者の親族や友人、関係先からの証言を集め、その実像を伝えることによる名誉回復が図られた。最後のVTRを見終えたメインキャスターの鳥越俊太郎は涙ぐみ、サブキャスター・長野智子との次のようなやりとりで番組を結んだ。 鳥越(前略)お父さんの気持ちを考えるとね、とっても仲のいい家族なんですよね。一人娘を亡くされてとっても悔しかっただろうと思う。家族にとっては、(被害者)さんは2回殺された。つまり1回は、犯人によって殺されている。そして2回目は、マスコミ、私たちと同じ仕事をしているマスコミの手によって名誉がズタズタにされてしまった。2回殺されたと思うんですね。(中略)「報道の"自由"どこまで?」――あれは報道の自由と責任ということだろうと思いますね。ひとつの流れができると、わあーとその方向へ行ってしまう日本のマスコミの悪い癖があるんですよね、それが出てしまったなという……。長野 そうですね。今回の事件で警察の責任というものが非常に問われましたけど、この(被害者)さんの問題に関しては本当に問われるべきは警察だけではない、というとこが非常にあります。鳥越 僕は別に(被害者)さんをね、美化するつもりはまったくないし、普通の家庭の普通のお嬢さんだったと思うんです。ブランドも好きだったと思うんです。ただ、ここまで名誉をズタズタにされるほどのことは何も彼女はしてなかったということは、少なくとも私たちの取材をしていて、それは明らかだった。被害者の報道のあり方を問いかける事件だったと思います。
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