第10の哨戒 1944年10月 - 11月
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「ハリバット (潜水艦)」の記事における「第10の哨戒 1944年10月 - 11月」の解説
10月8日、ハリバットはハダック、ツナ (USS Tuna, SS-203) とウルフパックを構成しルソン島東方海面に向かった。この哨戒では艦船攻撃のほかに、第38任務部隊(マーク・ミッチャー中将)のパイロット救助の任務も与えられた。10月19日にサイパン島に立ち寄った後、2日後の10月21日に発ち、担当海域に急行した。レイテ沖海戦は10月20日から始まっており、3隻は10月25日になって担当海域に到着した。司令部から指示された配備点に関しては、北緯20度30分 東経125度30分 / 北緯20.500度 東経125.500度 / 20.500; 125.500から東経129度までの線上であり、ハリバット以下、この海域に配備された各潜水艦は15海里から20海里の間隔で配備するよう指示されていたが、この時点では3隻とも小沢治三郎中将率いる機動部隊を確認できなかった。ハリバットは浮上して哨戒していたが、夕方17時になり搭乗員同士の交信を多数受信した。この頃、小沢中将の機動部隊は最後の航空攻撃を受けており、主目標は退却しつつある伊勢型航空戦艦あるいは扶桑型戦艦と目される戦艦を中心とする残存艦だった。そして、それらの残党連中は思いがけず、ハリバットがいる海域に向かいつつあった。 17時42分、ブリッジで自ら見張っていたギャランティン艦長は、戦艦のマストのようなものを発見。ハダックとツナにこのことを報告した後17時45分に潜望鏡深度に潜航した。ギャランティン艦長は伊勢型あるいは扶桑型を目標に観測を続けた。しかし、どうしても距離が縮められず、目標までの距離は最低でも3,000メートルぐらいあると思われた。18時43分、ハリバットは少し距離が遠かったが伊勢型あるいは扶桑型に向けて魚雷を6本発射した。周囲には駆逐艦が何隻かいたが、それらに対する艦尾発射管からの攻撃は行われなかった。やがて5つの命中音を聴取し、3分後に観測してみると、転覆した艦艇の残骸と思しき物以外は発見できなかった。周囲の艦隊はどこかに消えていた。その後ウルフパックは、残党をレーダーで追跡した後、ルソン海峡の西側に向かった。 戦後、JANAC(英語版)によって「ハリバットはこの時、防空駆逐艦秋月を撃沈した」と認定された。アメリカ側資料やそれに準拠した書物には、これに基づいて「ハリバットが秋月を撃沈した」という記述を記すようになった。しかし、第38任務部隊機の空襲により沈没した秋月の沈没時刻は朝の8時57分であり、その時刻にハリバットは何らアクションを起こしていない。ギャランティン艦長自身は、最初は「戦艦を撃沈した」と報告し、後に相手はおそらく初月であろうとした。ハリバットが実際に雷撃目標としたのは伊勢、日向のどちらなのか、特定はされていない。また日本側、特に伊勢および日向の第四航空戦隊(松田千秋少将)ではこの雷撃に気づいた様子はない。11月9日、ハリバットは病院船氷川丸(日本郵船、11,622トン)を目撃した。11月13日になると、航空機の哨戒が厳しくなっていることが感じられた。 11月14日正午ごろ、ハリバットは北緯21度02分 東経121度36分 / 北緯21.033度 東経121.600度 / 21.033; 121.600のルソン海峡で、北向きの針路をとる護衛艦と4隻の大型輸送船からなる輸送船団を発見。ハリバットは潜航し、北緯20度56分 東経121度33分 / 北緯20.933度 東経121.550度 / 20.933; 121.550の地点で、目標に向けて距離2,800メートルで魚雷を4本発射した。2つの命中音を聴取の後、ハリバットが反撃を避けるため深深度潜航に移りつつあったその時、磁気探知機を搭載しルソン海峡の哨戒に当たっていた第九〇一海軍航空隊の陸上攻撃機1機が潜水艦を探知し、爆撃を行った。5回の爆発に続いて不快な騒音を聞いた。続いて2隻の護衛艦からの反響音を探知し、それから間もなく至近距離で爆雷の爆発が起こり、ハリバットは水深99メートルの位置に吹き飛ばされた。攻撃はなお収まらず、ハリバットは攻撃を受け続けた結果、浮力タンクが損傷し安全深度を超える130メートルの位置にまで沈下した。安全深度を超えていたので船体のあちこちに異常が出始めていた。船体そのものが大幅に歪み、前部発射管室とメインタンクには重大なダメージが生じ、蓄電池も亀裂が走りおびただしい硫酸が流れ出ていた。さらに、船体のダメージは航行上の重要区画にも影響を及ぼし、推進器軸は船体の歪みで絶えずきしみ音を出す始末であった。音響兵器や水測兵器も全部破壊し、辛うじて艦の心臓部たるメインエンジンと機関、舵だけが無事という有様であった。16時45分頃には攻撃が終わり、ハリバットはゆっくりと水深91メートルの位置に浮上し、次いで19時10分、ハリバットは浮上。浮上してから調査した結果、普通では壊れない備砲の尾栓が破壊されていた。レーダーは修理されたが、他の主要部分や外殻のダメージは応急修理すらままならないほど大きく、ハリバットは首の皮一枚繋がっている感じだった。ハリバットに致命的な損害を与えた相手の艦は判明していない。 21時30分、ハリバットは隣の哨戒海域にいたピンタド (USS Pintado, SS-387) 、ジャラオ (USS Jallao, SS-368) およびアトゥル (USS Atule, SS-403) のウルフパックに助けを求めた。ピンタドは損傷著しいハリバットに代わって損害の程度を司令部に打電。その結果、ピンタドが哨戒を中止してハリバットをサイパン島まで護衛することになった。11月17日に確認のために、生涯最後となる潜航を30分弱にわたって実施。11月19日、ハリバットは49日間の行動を終えてサイパン島に帰投した。
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