第9、第10の哨戒 1944年10月 - 1945年2月
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「キングフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第9、第10の哨戒 1944年10月 - 1945年2月」の解説
10月12日、キングフィッシュは9回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。10月24日に担当海域に到着し、その日のうちに北緯27度15分 東経143度19分 / 北緯27.250度 東経143.317度 / 27.250; 143.317の地点で輸送船団を発見し、魚雷を4本発射して海軍徴傭船生田川丸(東洋海運、2,220トン)に1本命中させて撃沈した。10月26日夜には母島と北硫黄島間の海域でレーダーにより輸送船団を探知し、翌10月27日未明に北緯25度22分 東経141度31分 / 北緯25.367度 東経141.517度 / 25.367; 141.517の地点で魚雷を3本発射して2本の命中を得る。この攻撃で陸軍船第四東海丸(東海汽船、537トン)を撃沈。同じ日の午後、キングフィッシュは北緯25度10分 東経141度31分 / 北緯25.167度 東経141.517度 / 25.167; 141.517の地点で占守型海防艦と思しき艦艇が護衛する輸送船団に対して魚雷を3本発射したが命中しなかったと思われたが、戦争が終わってから調査を行った結果、この攻撃で第138号輸送艦を撃沈したと認定される。その後は南西諸島方面に向かい、11月7日夜には北緯28度32分 東経127度10分 / 北緯28.533度 東経127.167度 / 28.533; 127.167の地点で輸送船団を探知して追尾したが、攻撃の機会をつかめなかった。11月15日には北緯28度18分 東経128度57分 / 北緯28.300度 東経128.950度 / 28.300; 128.950の地点で病院船を確認する。11月28日、キングフィッシュは46日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投した。 12月23日、キングフィッシュは10回目の哨戒で日本近海に向かった。1945年1月2日朝、キングフィッシュは北緯27度47分 東経143度07分 / 北緯27.783度 東経143.117度 / 27.783; 143.117の地点で父島から館山に向かっていた第4101船団を発見し、夕刻に北緯28度40分 東経143度15分 / 北緯28.667度 東経143.250度 / 28.667; 143.250の地点でタンカーに向けて魚雷を3本発射するも命中しなかった。荒天のためこの日はこれ以上の攻撃が出来ず、翌1月3日20時30分に北緯30度29分 東経142度03分 / 北緯30.483度 東経142.050度 / 30.483; 142.050の鳥島南東180キロの地点で再度第4101船団に対して攻撃を行い、魚雷をタンカーに対して6本、輸送船に対して3本の計9本発射、貨客船芝園丸(日本郵船、1,831トン)に魚雷を2本命中させ轟沈させ、同時に芝園丸の左側を航行中の陸軍船弥栄丸(日本海汽船、1,941トン)にも魚雷を命中させ撃沈した。また、この日輸送船昭東丸(西日本汽船、572トン)を雷撃し撃沈したとされているが、日本側の記録によれば、同船は4日に父島を出港した第4104船団に参加し、5日に雷撃を受けて撃沈されたとしており、アメリカ側の記録と相違がみられる。これ以降は戦果はなく、残りの哨戒期間のほとんどを、撃墜されたB-29パイロットの救助艦としての任務に終始した。2月1日、キングフィッシュは40日間の行動を終えてアプラ港に帰投。修理が行われた。
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