第9、第10の哨戒 1943年10月 - 1944年1月
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「ターポン (潜水艦)」の記事における「第9、第10の哨戒 1943年10月 - 1944年1月」の解説
10月1日、ターポンは9回目の哨戒で日本近海に向かった。10月16日の夜、ターポンは藺灘波島近海で哨戒中に1隻の船をレーダーで探知。大型の補助艦であると確認した。ターポンは目標を追跡し、翌17日の1時56分に4本の魚雷を発射、2本が命中して目標は停止した。しかしながらすぐに航行を再開し、ターポンに向かって進んできた。ターポンは潜航し同船の下を航行、別の位置から3本の魚雷を発射し、1本を船尾に命中させた。敵はまだ沈まず、ターポンは再び魚雷を1本発射し、これを命中させ撃沈した。戦後の記録で、この船はドイツの仮装巡洋艦ミヒェル (Michel, Shiff 28) であったことが判明した。ミヒェルは太平洋でアメリカ潜水艦に撃沈された最初で最後のドイツ仮装巡洋艦であり、ミヒェルの沈没は、第一次世界大戦および第二次世界大戦で活躍したドイツの仮装巡洋艦の活躍に終止符を打つものとなった。4日後の10月20日、ターポンは三宅島近海で大鷹型航空母艦と駆逐艦を発見した。ターポンは水中から接近し、空母に対して4本の魚雷を発射した。しかしながら両艦とも速度を上げて攻撃を回避した。10月23日の朝にもレーダーにより3,500トン級貨物船と護衛艦を探知し、貨物船の目標に対して5本の魚雷を発射したが、魚雷は全て目標の下を通過した。11月3日、ターポンは34日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がトーマス・B・オークリー・ジュニア少佐(アナポリス1934年組)に代わった。 12月4日、ターポンは10回目の哨戒でマーシャル諸島方面に向かった。12月6日にジョンストン島で補給の後、翌7日には味方の機動部隊とすれ違う。12月13日にマロエラップ環礁を写真偵察したのを皮切りに、1944年1月4日にかけてターポンは主要任務であるマーシャル方面の様々な環礁の写真撮影を実施する。12月15日にはミリ環礁とウォッジェ環礁間を哨戒中に沿岸タンカーを発見して2本の魚雷を発射したものの、命中することはなかった。1月12日、ターポンは39日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がサベリオ・フィリッポーン少佐(アナポリス1937年組)に代わった。ターポンの修理期間は幾度か延長され、修理後は各種テストに供用された。
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