第9、第10の哨戒 1944年5月 - 10月・ブッシュ救助とは? わかりやすく解説

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第9、第10の哨戒 1944年5月 - 10月・ブッシュ救助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/22 18:32 UTC 版)

フィンバック (潜水艦)」の記事における「第9、第10の哨戒 1944年5月 - 10月・ブッシュ救助」の解説

5月30日フィンバック9回目哨戒フィリピン海向かった。この哨戒でも、マリアナ諸島攻略援護をする第58任務部隊搭乗員救助主な任務とした。6月19日マリアナ沖海戦前後には、アルバコア (USS Albacore, SS-218) やカヴァラ (USS Cavalla, SS-244) より北の位置哨戒しており、6月19日夜に北緯14度20東経13704分 / 北緯14.333度 東経137.067度 / 14.333; 137.067の地点で、レーダー13,000メートル位置機動部隊のようなものを探知するフィンバック戦闘配置令して追跡開始し集団二つグループ分かれていると判断される。さらに、グループサーチライト上空向けて2つ照らしている様子うかがえた。しかし、4隻の駆逐艦フィンバックのいる方向向かっているのが分かり潜航余儀なくされた。浮上後、フィンバック艦隊発見報告を行うが、報告したのは艦隊探知してから約6時間が経過しており、その報告第5艦隊司令長官レイモンド・スプルーアンス大将のもとに届くまでにさらに3時間もかかっていたため、結果的にこの報告は意味を成さなかった。7月21日フィンバック50日間行動終えてマジュロ帰投艦長ロバート・R・ウィリアムス・ジュニア少佐アナポリス1934年組)に代わった。 「サン・ジャシント (空母)#1944年9月2日」も参照 8月16日フィンバック10回目哨戒小笠原諸島方面向かった8月中から9月1日までは硫黄島攻撃支援にあたり9月1日には空母フランクリン (USS Franklin, CV-13) のTBF アヴェンジャークルーであるトーマス・ケーン少尉他2名を救助したその頃当時海軍中尉ジョージ・H・W・ブッシュ空母サン・ジャシント (USS San Jacinto, CVL-30) の搭乗員一員として乗艦し、サン・ジャシント第38任務部隊マーク・ミッチャー中将)の一艦として、艦載機小笠原諸島爆撃すべく進撃していた。第38任務部隊8月末に小笠原接近ブッシュのいたVT-51(第51雷撃隊)は父島ある日海軍通信施設などを繰り返し爆撃しさらには水上部隊父島艦砲射撃加えていた。9月1日にも送信所への爆撃実施されたが不成功だったので、翌日繰り返すこととなった9月2日2日連続で同じ目標攻撃するゆえ対空砲火に関する注意受けた攻撃隊は父島向けて発進ブッシュ指揮官機らに続いて通信施設爆撃しつつあった。その時対空砲火ブッシュ機「バーバラ」のエンジン命中し、火を噴き始めた。しかし、「バーバラ」は被弾にも屈せず投弾して爆弾通信施設命中。「バーバラ」は東方避退したが火勢強くなり、ブッシュは他のクルーと共に落下傘降下行ったブッシュは「バーバラ」に頭をぶつけながらも降下成功して父島北東海域着水したが、同時に降下したクルー一人落下傘はついに開かなかった。 父島沖に待機していたフィンバックが、指揮官機からの通報受け取ったのは9時33分のことだった。通報で「バーバラ」の推定墜落位置情報得たフィンバック直ち現場急行1156分にブッシュ救助した同時に同僚であるデラニー二等兵曹ホワイト中尉捜索行ったが、ついに発見できなかった。フィンバックブッシュ救助した後も引き続き付近搭乗員捜索行い16時20分に空母エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) 所属のジェームズ・ベックマン少尉救助したその後フィンバックは「お客」のブッシュ以下5名を乗せたまま任務続行9月10日から11日にかけての深夜北緯2740東経140度37分 / 北緯27.667度 東経140.617度 / 27.667; 140.617の父島沖で輸送船団発見し海防艦八十島追跡かわして二度にわたる水上攻撃行い、2隻の陸軍船、八祥丸(南洋海運530トン)と第二博運丸(西海汽船、860トン)を撃沈した10月4日フィンバック50日間行動終えて真珠湾帰投ブッシュらはそれぞれの母艦戻っていった。 デラニー二等兵曹ホワイト中尉行方不明となり死亡認定され、ブッシュは後に空軍殊勲十字章受章したブッシュ1987年出版した自伝でこの撃墜振り返った際、「終戦後父島人肉事件雑誌知って最悪の時を思い起こさせた」」と書いている。ブッシュ日本軍撃墜されたことは1988年大統領選終盤期や在任当時日本のテレビ番組ニュースステーションでも報道されたが軽い扱いであり、フィンバック功績報道されなかった。

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