第9、第10、第11の哨戒 1944年2月 - 9月とは? わかりやすく解説

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第9、第10、第11の哨戒 1944年2月 - 9月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:44 UTC 版)

ポラック (潜水艦)」の記事における「第9、第10、第11の哨戒 1944年2月 - 9月」の解説

2月28日ポラック9回目哨戒小笠原諸島方面向かった荒海戦いながら哨戒海域到着その2日後の3月20日夜、ポラック北緯3040東経140度42分 / 北緯30.667度 東経140.700度 / 30.667; 140.700の地点で、浮上雷撃により特設駆潜艇白鷹丸(農商省、1,327トン)を撃沈した3月25日未明には輸送船団攻撃して54駆潜艇撃沈し、他に2隻の貨物船損傷与えた判断された。さらに4月3日には北緯3014東経13945分 / 北緯30.233度 東経139.750度 / 30.233; 139.750の地点陸軍船東征丸(岡田商船、2,814トン)を撃沈した4月11日ポラック43日間行動終えてミッドウェー島帰投した。 5月6日ポラック10回目哨戒日本近海向かった5月22日未明ポラック北緯2812東経13850分 / 北緯28.200度 東経138.833度 / 28.200; 138.833の父島近海サイパン島から東京に向かう第4517船団発見船団先頭を行く駆逐艦朝凪向けて魚雷を4本発射。1本が朝凪左舷後部命中し朝凪4時5分に横転沈没したポラック引き続き輸送船駆逐艦に対して魚雷発射するも、その直後猛烈な反撃受けたため戦場離脱した5月25日朝にも敵艦に対して魚雷を4本発射したものの命中しなかった。6月7日ポラック32日間行動終えて真珠湾帰投艦長エヴェレット・H・シュタインメッツ少佐アナポリス1935年組)に代わった。 7月15日ポラック11回目哨戒カロリン諸島方面向かったマジュロ経由して8月1日哨戒海域到着ウォレアイ環礁攻撃する航空部隊支援のための救助配備任務に当たる。8月4日5日にも同様の任務ヤップ島沖を哨戒し、ヤップ島パラオ海域行動した8月14日夕刻30日夕刻にはファイス島リン酸塩生産施設に対して4インチ砲による砲撃行った8月9日24日には千鳥型水雷艇思しき艦艇および、300トン駆潜艇に対してそれぞれ魚雷発射したが、攻撃成功しなかった。9月12日ポラック60日間行動終えてブリスベン帰投。これがポラック最後哨戒となった

※この「第9、第10、第11の哨戒 1944年2月 - 9月」の解説は、「ポラック (潜水艦)」の解説の一部です。
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