第9、第10、第11の哨戒 1944年2月 - 9月
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「ポラック (潜水艦)」の記事における「第9、第10、第11の哨戒 1944年2月 - 9月」の解説
2月28日、ポラックは9回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。荒海と戦いながら哨戒海域に到着。その2日後の3月20日夜、ポラックは北緯30度40分 東経140度42分 / 北緯30.667度 東経140.700度 / 30.667; 140.700の地点で、浮上雷撃により特設駆潜艇白鷹丸(農商省、1,327トン)を撃沈した。3月25日未明には輸送船団を攻撃して第54号駆潜艇を撃沈し、他に2隻の貨物船に損傷を与えたと判断された。さらに4月3日には北緯30度14分 東経139度45分 / 北緯30.233度 東経139.750度 / 30.233; 139.750の地点で陸軍船東征丸(岡田商船、2,814トン)を撃沈した。4月11日、ポラックは43日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 5月6日、ポラックは10回目の哨戒で日本近海に向かった。5月22日未明、ポラックは北緯28度12分 東経138度50分 / 北緯28.200度 東経138.833度 / 28.200; 138.833の父島近海でサイパン島から東京に向かう第4517船団を発見。船団の先頭を行く駆逐艦朝凪に向けて魚雷を4本発射。1本が朝凪の左舷後部に命中し、朝凪は4時5分に横転沈没した。ポラックは引き続き輸送船と駆逐艦に対して魚雷を発射するも、その直後に猛烈な反撃を受けたため戦場を離脱した。5月25日朝にも敵艦船に対して魚雷を4本発射したものの命中しなかった。6月7日、ポラックは32日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がエヴェレット・H・シュタインメッツ少佐(アナポリス1935年組)に代わった。 7月15日、ポラックは11回目の哨戒でカロリン諸島方面に向かった。マジュロを経由して8月1日に哨戒海域に到着。ウォレアイ環礁を攻撃する航空部隊支援のための救助配備任務に当たる。8月4日と5日にも同様の任務でヤップ島沖を哨戒し、ヤップ島とパラオ海域を行動した。8月14日夕刻と30日夕刻にはファイス島のリン酸塩生産施設に対して4インチ砲による砲撃を行った。8月9日と24日には千鳥型水雷艇と思しき艦艇および、300トン級駆潜艇に対してそれぞれ魚雷を発射したが、攻撃は成功しなかった。9月12日、ポラックは60日間の行動を終えてブリスベンに帰投。これがポラックの最後の哨戒となった。
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