第9、第10、第11の哨戒 1943年11月 - 1944年5月
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11月3日、シーレイヴンは9回目の哨戒でトラック諸島方面に向かった。3日の期間を空けた後ウルフパックと共にギルバート諸島攻略戦(ガルヴァニック作戦)に参加した艦艇への支援を行った。11月25日、シーレイヴンはポンペイ島北方で、駆逐艦秋雲の護衛がついた特設運送船(給油)東亜丸(飯野海運、10,052トン)を発見し、魚雷を2本命中させて東亜丸を撃沈。夕方まで秋雲による爆雷攻撃が行われたが、シーレイヴンには何の被害もなかった。12月6日、シーレイヴンは49日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 1944年1月17日、シーレイヴンは10回目の哨戒でカロリン諸島方面に向かった。この哨戒では、エニウェトク環礁に対する写真撮影偵察およびマーシャル諸島、マリアナ諸島およびトラックに対する空襲部隊の救助艦任務に従事した。シーレイヴンは3名のパイロットを救助したが、それ以外に戦果はなかった。3月3日、シーレイヴンは47日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 3月26日、シーレイヴンは11回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。シーレイヴンはこの哨戒において2度の攻撃を行い、2隻6,500トンの戦果を報告した。このうちの一つ、4月17日の戦闘では、北緯25度52分 東経142度24分 / 北緯25.867度 東経142.400度 / 25.867; 142.400の地点で特設掃海艇第二号能代丸(日本海洋漁業、216トン)を撃沈した。5月4日、シーレイヴンは45日間の行動を終えて真珠湾に帰投。短期間のオーバーホールに入った。
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