第9、第10、第11、第12、第13の哨戒 1944年4月 - 1945年4月
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「ドラム (潜水艦)」の記事における「第9、第10、第11、第12、第13の哨戒 1944年4月 - 1945年4月」の解説
4月9日、ドラムは9回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。しかし、この哨戒で攻撃の機会は一度もなかった。5月31日、ドラムは50日間の行動を終えてマジュロに帰投。艦長がモーリス・H・リンズコフ少佐(アナポリス1938年組)に代わった。 6月24日、ドラムは10回目の哨戒でパラオ方面に向かった。7月4日午後、ドラムはファイス島の精製所に対して4インチ砲と20ミリ機銃による艦砲射撃を行った。パラオの周囲で哨戒し、7月22日に北緯07度05分 東経131度52分 / 北緯7.083度 東経131.867度 / 7.083; 131.867の地点で500トンから700トン程度の小型タンカーに対して魚雷を4本発射するが、命中しなかった。7月29日には北緯09度18分 東経133度20分 / 北緯9.300度 東経133.333度 / 9.300; 133.333の地点でサンパンを浮上砲戦で撃沈し、「チョウノ・ナツモリ」と「ケイエイ・シモチ」という2人の日本人を捕虜とした。8月14日、ドラムは51日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 9月9日、ドラムは11回目の哨戒でソーフィッシュ (USS Sawfish, SS-276) およびアイスフィッシュ (USS Icefish, SS-367) とウルフパックを構成しフィリピン方面に向かった。途中でサイパン島に立ち寄った後、スリガオ海峡に針路を向ける。9月28日にガー (USS Gar, SS-206) と会合した後、「船団大学」ことルソン海峡に向けて移動を開始する。10月17日以降、ドラムらはシャーク (USS Shark, SS-314) 、シードラゴン (USS Seadragon, SS-194) 、ブラックフィッシュ (USS Blackfish, SS-221) からなる別のウルフパックと合流した。10月22日には、北緯19度33分 東経118度52分 / 北緯19.550度 東経118.867度 / 19.550; 118.867の地点で志摩清英中将の第二遊撃部隊から分離行動中の駆逐艦初春、初霜、若葉と思しき3隻の駆逐艦を発見。10月23日、ドラムのウルフパックはルソン島北端ボヘヤドール岬の西方海域で大船団を発見する。これはマニラを10月20日に出航し高雄に向かっていたマタ30船団で、指揮艦である駆逐艦春風の名前を取って別名「春風船団」と呼称されていた。23日17時30分のソーフィッシュによる特設運送船君川丸(川崎汽船、6,863トン)撃沈によって攻撃が開始された。攻撃にはスヌーク (USS Snook, SS-279) も加わった。ドラムは10月23日中には攻撃を行わなかったが、日付変わって10月24日になってから攻撃圏内にマタ30船団の艦船が入ってきた。1時30分に浮上状態で艦尾発射管から魚雷を4本発射するが、いずれも命中しなかった。スヌーク (USS Snook, SS-279) から戦闘状況の報告を受けた後、ドラムは新たな攻撃位置を捜し求めるが、護衛艦が高速で走り回っており隙をうかがえない。7時頃にようやく目標を定め、約1時間後に魚雷を4本発射。魚雷は輸送船信貴山丸(三井船舶、4,725トン)に2本以上命中してこれを撃沈した。2日後の10月26日、ドラムらのウルフパックは10月26日早朝、バブヤン諸島西方でマニラに向かっていたモマ05船団を発見した。ドラムは北緯19度30分 東経120度44分 / 北緯19.500度 東経120.733度 / 19.500; 120.733の地点で輸送船大彰丸(大阪商船、6,886トン)に向けて魚雷を発射し命中。兵士とガソリンを搭載していた大彰丸は大爆発を起こして沈没した。次いで6時5分には北緯19度07分 東経120度42分 / 北緯19.117度 東経120.700度 / 19.117; 120.700の地点で輸送船大博丸(大阪商船、6,886トン)に向けて魚雷2本を発射し命中。8時40分に爆発物を搭載していた船体前半部分が誘爆を起こし脱落した。11月8日、ドラムは59日間の行動を終えてマジュロに帰投。艦長がフランク・M・エディ少佐(アナポリス1937年組)に代わった。 12月7日、ドラムは12回目の哨戒で東シナ海に向かった。しかし、この哨戒では12月30日に北緯29度48分 東経129度11分 / 北緯29.800度 東経129.183度 / 29.800; 129.183の地点で、タカ406船団に対して魚雷を6本発射し命中しなかった攻撃が、哨戒唯一の戦闘であった。1945年1月17日、ドラムは42日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投した。 2月11日、ドラムは13回目の哨戒で東シナ海に向かった。期間の後半では第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)に対する救助等の支援を行った。4月2日、ドラムは51日間の行動を終えて真珠湾に帰投。ドラムは3度目のオーバーホールで5インチ砲2基を装備し、真珠湾での訓練の後、8月9日にミッドウェー島から14回目の哨戒に備えてサイパン島に向かったが、8月15日に戦争が終わりドラムの哨戒は打ち切られた。
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