第9、第10、第11、第12、第13の哨戒 1944年4月 - 1945年4月とは? わかりやすく解説

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第9、第10、第11、第12、第13の哨戒 1944年4月 - 1945年4月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 09:15 UTC 版)

ドラム (潜水艦)」の記事における「第9、第10、第11、第12、第13の哨戒 1944年4月 - 1945年4月」の解説

4月9日ドラム9回目哨戒小笠原諸島方面向かった。しかし、この哨戒攻撃機会一度もなかった。5月31日ドラム50日間行動終えてマジュロ帰投艦長モーリス・H・リンズコフ少佐アナポリス1938年組)に代わった。 6月24日ドラム10回目哨戒パラオ方面向かった7月4日午後ドラムファイス島精製に対して4インチ砲と20ミリ機銃による艦砲射撃行ったパラオ周囲哨戒し、7月22日北緯0705東経13152分 / 北緯7.083度 東経131.867度 / 7.083; 131.867の地点500トンから700トン程度小型タンカーに対して魚雷を4本発射するが、命中しなかった。7月29日には北緯0918東経13320分 / 北緯9.300度 東経133.333度 / 9.300; 133.333の地点サンパン浮上砲戦撃沈し、「チョウノ・ナツモリ」と「ケイエイ・シモチ」という2人日本人捕虜とした。8月14日ドラム51日間行動終えて真珠湾帰投した。 9月9日ドラム11回目哨戒ソーフィッシュ (USS Sawfish, SS-276) およびアイスフィッシュ (USS Icefish, SS-367) とウルフパック構成しフィリピン方面向かった途中でサイパン島立ち寄った後、スリガオ海峡針路を向ける。9月28日ガー (USS Gar, SS-206) と会合した後、「船団大学」ことルソン海峡向けて移動開始する10月17日以降ドラムらはシャーク (USS Shark, SS-314) 、シードラゴン (USS Seadragon, SS-194) 、ブラックフィッシュ (USS Blackfish, SS-221) からなる別のウルフパック合流した10月22日には、北緯1933東経11852分 / 北緯19.550度 東経118.867度 / 19.550; 118.867の地点志摩清英中将第二遊撃部隊から分離行動中の駆逐艦初春初霜若葉思しき3隻の駆逐艦発見10月23日ドラムウルフパックルソン島北端ボヘヤドール岬の西方海域大船団を発見する。これはマニラ10月20日出航し高雄向かっていたマタ30船団で、指揮艦である駆逐艦春風の名前を取って別名「春風船団」と呼称されていた。23日17時30分のソーフィッシュによる特設運送船君川丸川崎汽船、6,863トン撃沈によって攻撃開始された。攻撃にはスヌーク (USS Snook, SS-279) も加わったドラム10月23日中には攻撃を行わなかったが、日付変わって10月24日になってから攻撃圏内マタ30船団艦船入ってきた。1時30分に浮上状態で艦尾発射管から魚雷を4本発射するが、いずれも命中しなかった。スヌーク (USS Snook, SS-279) から戦闘状況報告受けた後、ドラム新たな攻撃位置捜し求めるが、護衛艦高速走り回っており隙をうかがえない。7時頃にようやく目標定め、約1時間後に魚雷を4本発射魚雷輸送船信貴山丸(三井船舶、4,725トン)に2本以上命中してこれを撃沈した2日後10月26日ドラムらのウルフパック10月26日早朝バブヤン諸島西方マニラ向かっていたモマ05船団発見したドラム北緯1930東経12044分 / 北緯19.500度 東経120.733度 / 19.500; 120.733の地点輸送船大彰丸(大阪商船、6,886トン)に向けて魚雷発射し命中兵士ガソリン搭載していた大彰丸は大爆発起こして沈没した次いで6時5分には北緯1907東経12042分 / 北緯19.117度 東経120.700度 / 19.117; 120.700の地点輸送船大博丸(大阪商船、6,886トン)に向けて魚雷2本を発射し命中8時40分爆発物搭載していた船体前半部分誘爆起こし脱落した11月8日ドラム59日間行動終えてマジュロ帰投艦長フランク・M・エディ少佐アナポリス1937年組)に代わった。 12月7日ドラム12回目哨戒東シナ海向かった。しかし、この哨戒では12月30日北緯2948東経12911分 / 北緯29.800度 東経129.183度 / 29.800; 129.183の地点で、タカ406船団に対して魚雷を6本発射し命中しなかった攻撃が、哨戒唯一の戦闘であった1945年1月17日ドラム42日間行動終えてグアムアプラ港に帰投した。 2月11日ドラム13回目哨戒東シナ海向かった。期間の後半では第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)に対す救助等の支援行った4月2日ドラム51日間行動終えて真珠湾帰投ドラム3度目オーバーホールで5インチ砲2基を装備し真珠湾での訓練の後、8月9日ミッドウェー島から14回目哨戒備えてサイパン島向かったが、8月15日戦争終わりドラム哨戒打ち切られた。

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