第10の哨戒 1944年2月 - 3月とは? わかりやすく解説

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第10の哨戒 1944年2月 - 3月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/01 14:57 UTC 版)

トートグ (潜水艦)」の記事における「第10の哨戒 1944年2月 - 3月」の解説

2月24日トートグ10回の哨戒千島列島方面向かったトートグ北海道北東沖から幌筵島までの海域哨戒することになっていた。しかし、担当海域に向かう途中3月5日トートグはこの戦争での唯一の戦死者出したトートグ艦上作業をしていた何名かの乗組員が、突然大波襲われた。そのうち1人である、トートグ配属されたばかりR・Aララミー機関水兵だけは行方不明となり、ただちにララミー機関水兵捜索が行われたものの、結局ララミー機関水兵発見することは出来なかった。3月13日トートグ北緯4739東経15245分 / 北緯47.650度 東経152.750度 / 47.650; 152.750の地点陸軍船隆亜丸(山本汽船、1,915トン)を発見した。隆亜丸を追跡しつつ、次第良い攻撃態勢持ち込んでいったあと、3本魚雷発射。この攻撃では回避され2度目攻撃魚雷を4本発射魚雷命中したものの隆亜丸は沈む素振り見せなかった。トートグシーグラフ艦長魚雷無駄遣い避けるべく、5インチ砲で始末することに決め浮上したのちようやく隆亜丸を撃沈したトートグ生存者捜索していたところ、水平線上に別の船が出現したので、ただちに潜航新たに出現した陸軍仁丸松岡汽船、1,942トンに対して魚雷3本発射魚雷仁丸命中してこれを撃沈した3月16日夜、トートグミッドウェー島への帰投途中レーダーで7隻の輸送船団接近しているのを探知した。この船団得撫島へ第42師団一部輸送すべく、小樽から釧路経由航行していたものであったトートグ折りからの濃霧の中、船団右側から攻撃することに決め北緯4218東経14511分 / 北緯42.300度 東経145.183度 / 42.300; 145.183の愛冠岬釧路南東)沖で重なるように航行していた2隻の船に対して魚雷を4本発射手前の船の方で最初爆発があったのを確認したが、護衛艦がやってきたのでトートグ深く潜航し反撃かわした。この攻撃トートグ護衛駆逐艦白雲一撃の下に撃沈したまた、別の魚雷2本が陸軍輸送船日連丸(日産汽船、5,460トン)に命中し20分で沈没した反撃かわしたトートグは、2回目攻撃残存中型貨物船別の船に対し魚雷3本発射した。しかし、駆逐艦制圧1時間半わたって受けたため結果確認することは出来なかった。トートグはこの哨戒で5隻17,700トン戦後に4隻11,277トン)の戦果挙げ、これはトートグ哨戒中でももっとも攻撃的成功したものの一つ数えられた。3月23日トートグ28日間の行動終えてミッドウェー島帰投、このときトートグ艦長はS-37 (USS S-37, SS-142) から転じて来たトーマス・S・バスケット少佐アナポリス1935年組)に代わった。

※この「第10の哨戒 1944年2月 - 3月」の解説は、「トートグ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第10の哨戒 1944年2月 - 3月」を含む「トートグ (潜水艦)」の記事については、「トートグ (潜水艦)」の概要を参照ください。

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