第10の哨戒 1944年2月 - 3月
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「トートグ (潜水艦)」の記事における「第10の哨戒 1944年2月 - 3月」の解説
2月24日、トートグは10回の哨戒で千島列島方面に向かった。トートグは北海道北東沖から幌筵島までの海域を哨戒することになっていた。しかし、担当海域に向かう途中の3月5日、トートグはこの戦争での唯一の戦死者を出した。トートグの艦上で作業をしていた何名かの乗組員が、突然大波に襲われた。そのうちの1人である、トートグに配属されたばかりのR・A・ララミー機関水兵だけは行方不明となり、ただちにララミー機関水兵の捜索が行われたものの、結局ララミー機関水兵を発見することは出来なかった。3月13日、トートグは北緯47度39分 東経152度45分 / 北緯47.650度 東経152.750度 / 47.650; 152.750の地点で陸軍船隆亜丸(山本汽船、1,915トン)を発見した。隆亜丸を追跡しつつ、次第に良い攻撃態勢に持ち込んでいったあと、3本の魚雷を発射。この攻撃では回避され、2度目の攻撃で魚雷を4本発射。魚雷は命中したものの隆亜丸は沈む素振りも見せなかった。トートグのシーグラフ艦長は魚雷の無駄遣いを避けるべく、5インチ砲で始末することに決め、浮上したのちようやく隆亜丸を撃沈した。トートグが生存者を捜索していたところ、水平線上に別の船が出現したので、ただちに潜航。新たに出現した陸軍船松仁丸(松岡汽船、1,942トン)に対して魚雷を3本発射。魚雷は松仁丸に命中してこれを撃沈した。3月16日夜、トートグはミッドウェー島への帰投途中、レーダーで7隻の輸送船団が接近しているのを探知した。この船団は得撫島へ第42師団の一部を輸送すべく、小樽から釧路経由で航行していたものであった。トートグは折りからの濃霧の中、船団の右側から攻撃することに決め、北緯42度18分 東経145度11分 / 北緯42.300度 東経145.183度 / 42.300; 145.183の愛冠岬(釧路南東)沖で重なるように航行していた2隻の船に対して魚雷を4本発射。手前の船の方で最初の爆発があったのを確認したが、護衛艦がやってきたのでトートグも深く潜航して反撃をかわした。この攻撃でトートグは護衛の駆逐艦白雲を一撃の下に撃沈した。また、別の魚雷2本が陸軍輸送船日連丸(日産汽船、5,460トン)に命中し、20分で沈没した。反撃をかわしたトートグは、2回目の攻撃で残存の中型貨物船と別の船に対し魚雷を3本発射した。しかし、駆逐艦の制圧を1時間半にわたって受けたため結果を確認することは出来なかった。トートグはこの哨戒で5隻17,700トン(戦後に4隻11,277トン)の戦果を挙げ、これはトートグの哨戒の中でももっとも攻撃的で成功したものの一つに数えられた。3月23日、トートグは28日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投、このときトートグの艦長はS-37 (USS S-37, SS-142) から転じて来たトーマス・S・バスケット少佐(アナポリス1935年組)に代わった。
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