第10の哨戒 1944年4月 - 6月
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「タンバー (潜水艦)」の記事における「第10の哨戒 1944年4月 - 6月」の解説
4月9日、タンバーは10回目の哨戒でマリアナ諸島方面に向かった。4月18日、タンバーはウェーク島北西北緯22度07分 東経160度31分 / 北緯22.117度 東経160.517度 / 22.117; 160.517の地点で生野菜などの食糧を積んだ250トンほどのトロール船を発見して砲撃。これは特設監視艇第三振興丸(東北振興水産、128トン)で、沈黙後にタンバーから何人かの乗組員が乗り移り、日本船員7名を討って二等航海士を捕虜とした。移乗班は備え付けの書類を押収して引き上げ、第三振興丸はひどく傾いた状態のまま放置されて沈没した。5月10日夕方、タンバーは北緯19度27分 東経140度00分 / 北緯19.450度 東経140.000度 / 19.450; 140.000の硫黄島西南西の海上で、駆逐艦朝凪、水無月、水雷艇鴻、海防艦および駆潜艇に護衛されサイパン島に向かう第3503船団を発見。タンバーは潜航し、魚雷4本を発射。2つの爆発を聞いた。この攻撃で特設運送船慶洋丸(東洋汽船、6,441トン)が損傷したが沈没には至らなかった。タンバーは深く潜航して第24号海防艦からの50発の爆雷攻撃から逃れ、攻撃が止んでから浮上して追撃を行おうとした。しかし、水無月がタンバーを発見して爆雷攻撃をしてきたので、タンバーは攻撃を断念してその海域を去った。5月26日、タンバーは北緯20度08分 東経141度55分 / 北緯20.133度 東経141.917度 / 20.133; 141.917 の地点で、特設給糧船地洋丸(西大洋漁業、657トン)に魚雷2本を命中させて撃沈した。6月2日、タンバーは54日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。艦長がウィリアム・J・ジルマーショーゼン少佐(アナポリス1935年組)に代わった。
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