第10の哨戒 1944年4月 - 6月とは? わかりやすく解説

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第10の哨戒 1944年4月 - 6月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 20:34 UTC 版)

タンバー (潜水艦)」の記事における「第10の哨戒 1944年4月 - 6月」の解説

4月9日タンバー10回目哨戒マリアナ諸島方面向かった4月18日タンバーウェーク島北西北緯2207東経160度31分 / 北緯22.117度 東経160.517度 / 22.117; 160.517の地点生野菜などの食糧積んだ250トンほどのトロール船発見して砲撃。これは特設監視艇第三振興丸(東北振興水産128トン)で、沈黙後にタンバーから何人かの乗組員乗り移り日本船員7名を討って二等航海士捕虜とした。移乗班は備え付け書類押収して引き上げ第三振興丸はひどく傾いた状態のまま放置され沈没した5月10日夕方タンバー北緯1927東経140度00分 / 北緯19.450度 東経140.000度 / 19.450; 140.000の硫黄島西南西海上で、駆逐艦朝凪水無月水雷艇海防艦および駆潜艇護衛されサイパン島に向かう第3503船団発見タンバー潜航し魚雷4本を発射2つ爆発聞いた。この攻撃特設運送船慶洋丸(東洋汽船、6,441トン)が損傷した沈没には至らなかった。タンバー深く潜航して第24海防艦からの50発の爆雷攻撃から逃れ攻撃止んでから浮上して追撃行おうとした。しかし、水無月タンバー発見して爆雷攻撃をしてきたので、タンバー攻撃断念してその海域去った5月26日タンバー北緯2008東経14155分 / 北緯20.133度 東経141.917度 / 20.133; 141.917 の地点で、特設給糧船地洋丸(西大漁業、657トン)に魚雷2本を命中させて撃沈した6月2日タンバー54日間行動終えてミッドウェー島帰投艦長ウィリアム・J・ジルマーショーゼン少佐アナポリス1935年組)に代わった。

※この「第10の哨戒 1944年4月 - 6月」の解説は、「タンバー (潜水艦)」の解説の一部です。
「第10の哨戒 1944年4月 - 6月」を含む「タンバー (潜水艦)」の記事については、「タンバー (潜水艦)」の概要を参照ください。

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