第10の哨戒 1944年4月 - 5月
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「シードラゴン (潜水艦)」の記事における「第10の哨戒 1944年4月 - 5月」の解説
4月1日、シードラゴンは10回目の哨戒で日本近海に向かった。4月5日に180度線を通過し、4月15日に哨戒海域に到着した。4月16日、シードラゴンは奄美大島近海から豊後水道と紀伊水道を結ぶ海域に移動し、瀬戸内海から出てくるであろう艦船を待った。4月23日朝、シードラゴンは北緯33度23分 東経135度44分 / 北緯33.383度 東経135.733度 / 33.383; 135.733の地点で潮岬方面に向かう、3隻の護衛艇がついた4隻の輸送船団を発見。魚雷を発射し、輸送船大寿丸(大阪商船、6,886トン)の右舷に命中。大寿丸は船首から沈没していった。護衛艇と哨戒機がシードラゴンに接近し、爆雷を40発投下。シードラゴンは深深度に潜んだ後、夜になって対潜掃討中の特設砲艦那智丸(関西汽船、1,601トン)に対して魚雷を発射したが命中しなかった。4月26日、シードラゴンは東京とマニラ間の交通路を哨戒。翌4月27日、シードラゴンは北緯33度13分 東経135度59分 / 北緯33.217度 東経135.983度 / 33.217; 135.983の地点で輸送船はわい丸(南洋海運、9,467トン)に魚雷を命中させ、はわい丸は右に大きく傾いた末に、沈没を防ぐため浦神港(那智勝浦町)近辺の浅瀬に座礁した。 4月28日からは、駿河湾入口付近で名古屋とサイパン島間の交通路を哨戒。さらに5月3日からはグアム、サイパン島、トラックと東京間の交通路の哨戒を行った。2日後からシードラゴンは相模湾の入口で艦船の出入りを見張ったあと、5月13日にシードラゴンは哨戒海域を後にしてミッドウェー島に針路を向けた。5月17日、シードラゴンは北緯33度31分 東経155度25分 / 北緯33.517度 東経155.417度 / 33.517; 155.417の地点で武装したトロール船を発見し、4インチ砲と機銃の射撃により炎上させた。シードラゴンは捕虜を得るため接近したが、生き残った敵の船員は降伏を拒んだ。シードラゴンは再び東に針路を向け、5月21日に180度線を通過し、ミッドウェー島に寄港。5月25日、シードラゴンは54日間の行動を終えて真珠湾に帰投。メア・アイランド海軍造船所に回航され、夏の間はオーバーホールにあてられてエンジンの換装を行った。シードラゴンは9月7日に真珠湾に戻った。
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第10の哨戒 1944年4月 - 5月
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「スタージョン (潜水艦)」の記事における「第10の哨戒 1944年4月 - 5月」の解説
4月8日、スタージョンは10回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。この哨戒では、南鳥島を攻撃する空母艦載機部隊の支援任務も含まれた。5月10日、スタージョンは父島北西海域で第4510船団を発見。陸軍船青龍丸(大阪商船、1,905トン)に対して魚雷を発射。しかし、この攻撃は回避された。スタージョンは護衛艦と敵機の攻撃を回避するため潜航し、潜望鏡深度まで浮上し翌朝まで船団を追跡。翌11日未明、北緯29度50分 東経141度50分 / 北緯29.833度 東経141.833度 / 29.833; 141.833の鳥島近海で2度目の攻撃を行い、青龍丸に対して4本の魚雷を発射した。2分の間に3つが青龍丸に命中。青龍丸は間もなく沈没した。スタージョンは回頭し、前部発射管の魚雷を他の船に発射した。2発が命中し、目標は煙を上げて停止しているように見えたが、実際には回避されていた。その後は航空機部隊の護衛を5月20日に始め、3名のパイロットを救助した。5月26日、スタージョンは50日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
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