第10の哨戒 1943年8月 - 10月とは? わかりやすく解説

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第10の哨戒 1943年8月 - 10月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 16:48 UTC 版)

トラウト (SS-202)」の記事における「第10の哨戒 1943年8月 - 10月」の解説

8月12日トラウト10回目哨戒フィリピン方面向かったスリガオ海峡サンベルナルジノ海峡出口付近哨戒8月25日には漁船発見交戦したのちトラウト乗組員漁船乗り移って海図など重要書類押収捕虜得て引き揚げたあと漁船沈められた。尋問によれば漁船ティドール島からやってきたものだった9月9日トラウト北緯10度33東経12531分 / 北緯10.550度 東経125.517度 / 10.550; 125.517のスリガオ海峡沖で海大潜水艦思われる艦船向けて魚雷3本発射35秒後に大爆発があり、トラウトは一旦深度30メートル待機したが、2回目の爆発ののちに潜望鏡深度戻して観測。しかし、何も見つからなかった。撃沈したのは伊182であろう考えられ戦果公認されたが、伊182はこの数日前エスピリトゥサント島方面沈没しており、トラウト攻撃した相手何かは不明である。9月22日最後に残っていた捕虜餓死し水葬付された。翌9月23日朝、トラウト北緯2045分 東経14205分 / 北緯20.750度 東経142.083度 / 20.750; 142.083の地点で第3916船団発見。1隻は貨客船山城丸日本郵船、3,427トン)で、もう1隻は甲板飛行機積まれていた特設運送船徳丸大家商事、3,483トン)だった。トラウトそれぞれの目標対し魚雷3本ずつ発射山城丸、両徳丸それぞれに1本ずつ命中し、両船とも瞬時沈没したトラウト護衛艦からの5時間に及ぶ制圧ののち、魚雷をもう3本発射した浮上する救命ボート12から15ぐらい浮いており、船は水面すれすれまで沈んでなおも燃えたのち、水中爆発起こして沈没していった。その夜トラウト進路真珠湾向けた10月4日トラウト54日間行動終えて真珠湾帰投オーバーホールのためメア・アイランド海軍造船所回航された。1944年1月作業終わり1月下旬真珠湾戻って162潜水隊編入された。

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