第10の哨戒 1943年8月 - 10月
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「トラウト (SS-202)」の記事における「第10の哨戒 1943年8月 - 10月」の解説
8月12日、トラウトは10回目の哨戒でフィリピン方面に向かった。スリガオ海峡とサンベルナルジノ海峡の出口付近を哨戒。8月25日には漁船を発見。交戦したのちトラウトの乗組員が漁船に乗り移って海図など重要書類を押収。捕虜を得て引き揚げたあと漁船は沈められた。尋問によれば、漁船はティドール島からやってきたものだった。9月9日、トラウトは北緯10度33分 東経125度31分 / 北緯10.550度 東経125.517度 / 10.550; 125.517のスリガオ海峡沖で海大型潜水艦と思われる艦船に向けて魚雷を3本発射。35秒後に大爆発があり、トラウトは一旦深度30メートルに待機したが、2回目の爆発ののちに潜望鏡深度に戻して観測。しかし、何も見つからなかった。撃沈したのは伊182であろうと考えられ戦果も公認されたが、伊182はこの数日前にエスピリトゥサント島方面で沈没しており、トラウトが攻撃した相手が何かは不明である。9月22日、最後に残っていた捕虜が餓死し、水葬に付された。翌9月23日朝、トラウトは北緯20度45分 東経142度05分 / 北緯20.750度 東経142.083度 / 20.750; 142.083の地点で第3916船団を発見。1隻は貨客船山城丸(日本郵船、3,427トン)で、もう1隻は甲板に飛行機が積まれていた特設運送船両徳丸(大家商事、3,483トン)だった。トラウトはそれぞれの目標に対し魚雷を3本ずつ発射。山城丸、両徳丸それぞれに1本ずつ命中し、両船とも瞬時に沈没した。トラウトは護衛艦からの5時間に及ぶ制圧ののち、魚雷をもう3本発射した。浮上すると救命ボートが12から15ぐらい浮いており、船は水面すれすれまで沈んでなおも燃えたのち、水中爆発を起こして沈没していった。その夜、トラウトは進路を真珠湾に向けた。10月4日、トラウトは54日間の行動を終えて真珠湾に帰投。オーバーホールのためメア・アイランド海軍造船所に回航された。1944年1月に作業が終わり、1月下旬に真珠湾に戻って第162潜水隊に編入された。
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