第一共和国期とは? わかりやすく解説

第一共和国期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/04 15:26 UTC 版)

オットー・バウアー」の記事における「第一共和国期」の解説

1918年末のオーストリア=ハンガリー帝国崩壊から始まる「オーストリア革命」期では、今や主流派となった社会民主党左派指導者としてオーストリア共和国樹立貢献しキリスト教社会党との連立政権首班長年盟友レンナーであった発足に際して外相在任:1918年11月 - 1919年7月 / 急逝したV・アドラー後任)に就任した外相としてヴァイマル共和政下のドイツとの合邦アンシュルス)をめざすが、ドイツ側消極態度サン・ジェルマン条約合邦禁止規定により挫折し辞任、「社会化委員会委員長就任した。 ここでバウアー左派は、ボリシェヴィキのように即時社会主義革命によりプロレタリア政権樹立するではなく議会政治による「社会化」を通じて社会民主党勢力拡大し将来革命機会をうかがうという待機主義的方針を採った。これとともに彼らは、第一次大戦ロシア革命結果として労働運動国際社会主義運動インターナショナル運動)がボリシェヴィキ(およびコミンテルンロシア共産主義派)と修正主義派(および第二インター社会改良主義派)に分裂しようとする状況憂い、これを何とか再統合ようとする調整主義的立場をとり、ウィーン・インター(国際社会行動同盟結成中心となったその後連立政権瓦解して社会民主党政権から離脱、ウィーン・インターの企て失敗終わったが、バウアー1920年から1934年まで社会民主党選出国民議会議員となるとともに、1926年採択され社会民主党の「リンツ綱領起草中心となり、「改良主義ボリシェヴィズムの間」に立つ「第三の道としてのオーストリア社会主義立脚点明示した。これによりバウアー両大戦間期社会民主党事実上指導者としての地位確かなものとした。またウィーン・インターを吸収して発足した社会主義労働者インターでも、F・アドラーとともに指導的役割果たした

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第一共和国期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 20:04 UTC 版)

韓国の歴史年表」の記事における「第一共和国期」の解説

1948年5月10日 - UNTCOK監視下で初代総選挙実施7月17日 - 第一共和国制憲憲法制定 8月15日 - 李承晩大韓民国政府樹立宣言初代大統領就任。’’’大韓民国’’’が独立国家となる。 10月19日 - 麗水・順天事件 1949年10月19日 - 共産党非合法化措置断行民主主義民族戦線傘下南朝鮮労働党など133団体の登録を取り消し12月1日 - 国家保安法制定公布 12月24日 - 聞慶虐殺事件 1950年5月30日 - 第2代総選挙、反李承晩系の南北協商派と中道勢力過半数占める。 6月25日 - 金日成率い北朝鮮韓国側呼称北韓)からの韓国へ先制攻撃で、朝鮮戦争勃発6月28日 - 朝鮮人民軍ソウル占領。(ソウル会戦7月26日 - 老斤里事件 夏 - 保導連盟事件 9月15日 - 仁川上陸作戦 9月28日 - 国連軍ソウル奪回10月 - 中華人民共和国から中国人民志願軍参戦1951年1月4日 - 中朝軍、ソウル再度占領初頭 - 国民防衛軍事件 1月6日 - 江華良民虐殺事件 2月9日 - 居昌良民虐殺事件 3月14日 - 国連軍ソウルを再奪回4月11日 - マッカーサー解任12月23日 - 李承晩大統領与党自由党結成 1952年1月8日 - 李承晩ライン宣言 2月4日 - 第一大邦丸事件 4月25日 - 基礎自治体である市・邑・面の議会議員選挙翌月5月10日には道議会議員選挙が行われた。→1952年韓国地方議会選挙 5月25日 - 政府は「共産ゲリラ掃討」を名目に、釜山周辺地域23郡に非常戒厳令布告、翌26日野党系の国会議員多数スパイ容疑憲兵隊連行され恫喝される(釜山政治波動)。 7月4日 - 大統領国会議員による間接選挙制から、国民からの直接選挙選出する直選制に変更するための憲法改正案可決される抜粋改憲)。 8月5日 - 大統領選挙直接選挙制によって実施された選挙李承晩大統領2回目当選を果たす。 1953年7月27日 - 朝鮮戦争休戦協定締結北朝鮮との軍事境界線DMZ確定1954年5月20日 - 第3総選挙与党自由党過半数議席占める。 11月27日 - 大統領重任制限規定撤廃する事を主な内容とした憲法改正案成立要件必要な3分の2である136名にわずかに達せず否決された。しかし、四捨五入論理援用して135名の賛成をもってして改憲案が可決されたことを宣言29日)、改憲案は与党自由党によって再可決された(→四捨五入改憲)。 1955年9月18日 - 民主国民党中心とした反李承晩勢力結集した保守政党民主党結成される1956年5月5日 - 民主党大統領候補申翼熙遊説移動中の列車内で急死5月15日 - 大統領選挙李承晩自由党)が大統領3度目当選を果たす。同時に行なわれ副大統領選では、張勉民主党)が当選8月8日 - 市・邑・面の首長基礎議会議員選挙8月13日にはソウル特別市市議会道議会議員選挙が行われた。ソウル釜山大邱などの都市部では野党民主党圧勝したが、全般的に与党自由党過半数占め結果となった。→1956年韓国地方選挙 9月28日 - 5月大統領選挙当選した張勉副大統領民主党)が、狙撃を受ける(張勉副大統領暗殺未遂事件)。 11月10日 - 曺奉岩中心とする進歩主義勢力結集した進歩党結成される1958年1月11日 - 野党進歩党曺奉岩委員長党幹部李承晩次期大統領選挙当選妨げなるとして、北朝鮮スパイ接触したことなどを名目国家保安法違反容疑逮捕され曺奉岩処刑59年7月31日)される(進歩党事件2011年冤罪事件であったことが証明)。 2月16日 - 滄浪号ハイジャック事件 5月2日 - 第4代総選挙不正選挙横行して与党自由党圧勝したが、憲法改正必要な議席数(総定数203議席三分の二)には届かず一方野党民主党ソウル市初めとする都市部議席数を大幅に増やす1959年12月4日 - 新潟日赤センター爆破未遂事件 1960年3月15日 - 大統領選挙三一不正選挙4月19日 - 不正選挙糾弾する大学生等がソウルデモデモ全国拡大警官隊発砲死者多数四月革命)。 4月27日 - 李承晩退陣

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