釜山政治波動
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釜山政治波動(プサンせいじはどう)は、1952年5月 - 7月、朝鮮戦争最中における大韓民国の臨時首都となっていた釜山市(現・釜山広域市)で起こった政治波動(政変)で、李承晩大統領が自身の再選を確実なものとするための直選制改憲案を強引な手段で国会通過させた一連の過程を指す。第一共和国時代の大韓民国における政治的事件の一つである。
- ^ 国民会や大韓婦人会、大韓青年団、大韓労働組合総連盟(労総)、大韓農民組合総連盟(農総)等の院外における李承晩支持勢力が、1951年4月3日に新党発起準備協議会を組織し、同年12月23日に結成された。
- ^ 国会内で李承晩を支持する共和民政会が新党発起院内準備会を組織したが、政府の憲法改正案を巡り、先に述べた院外の新党推進勢力とは分裂した。そのため、院外自由党の発足と同じ日に自由党を結成し、通称「院内自由党」と呼ばれた。
- ^ 「院外」と「院内」二つの自由党は、その後、1952年の半ばまでに院内自由党(合同派)が院外自由党に吸収され、同年7月4日に国会で可決された「抜粋憲法改正案波動」以降、一つの自由党にまとまった。
- ^ 自由党院内派や民友会系を中心とした40名余の議員によって組織された議員グループ。
- ^ 政治波動が発生する半月ほど前の5月10日に行なわれた道議会議員選挙で選出された議員によって発足した道議会で、大部分が李承晩支持派の院外自由党に占められていた。朝鮮戦争さなかであるため、ソウル市と京畿道、江原道では選挙が実施されなかった。この時期に選挙が行なわれた背景には、地方議会を通じて自身の支持勢力を形成しようとする李承晩大統領の思惑が強く働いていた。
- ^ 院内自由党の内部において院外自由党への合流を希望するグループの名称。5月19日に「自由党」の名称で院内交渉団体の登録をした。
- ^ 『分断後の韓国政治』138頁。直接の出典は1984年6月8日付中央日報
- ^ 池東旭著『韓国大統領列伝 権力者たちの栄華と転落』(中公新書)99頁
- 1 釜山政治波動とは
- 2 釜山政治波動の概要
- 3 年表
- 4 参考文献
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