「自由党」結成とは? わかりやすく解説

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「自由党」結成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/11 13:46 UTC 版)

韓国における政党史」の記事における「「自由党」結成」の解説

李承晩大統領就任当初超然主義を採り、与党(この場合与党大統領本人所属している政党)を持たなかった。しかし、朝鮮戦争直前行われた第2代総選挙1950年5月30日)にて前回選挙ボイコットした南北協商派や中間派が参加し李承晩距離を置く無所属候補多数当選した。そのため、李承晩自身与党となる「自由党」を結成し1952年半ば脅迫的な手段間接選挙から直接選挙制にするための憲法改正実施した釜山政治波動)。 自由党は、政府の強い影響にあった大韓婦人会大韓青年団大韓労働組合総連盟(労総)、大韓農民組合総連盟(農総)など院外団体を動員し李承晩自身当選確実なものとするために作られ政党で、本来の意味における政党とは言いたかった権力者政権獲得した後で権力維持の手段として政党与党)を急造するという第五共和国までの韓国における与党結成パターン(先・政権獲得、後・創党)はこの時、作られといえる初代総選挙第2代総選挙では、無所属政党ではない社会団体議会内の多数占めていたが、1954年第3総選挙では与党自由党半分以上議席占めた他方野党勢力は、李承晩と袂をわかった民党後身政党である民主国民党民国党)が全議席の7%台、それ以外の政党含めて10%台に留まり過去2回の総選と同じく無所属当選者自由党に次ぐ、第二勢力になった

※この「「自由党」結成」の解説は、「韓国における政党史」の解説の一部です。
「「自由党」結成」を含む「韓国における政党史」の記事については、「韓国における政党史」の概要を参照ください。

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