第二勢力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 04:21 UTC 版)
こうした動きは世論を日清開戦論へと動かす契機にはなったが、これらの政党は対外政策では一定の一致をみていたものの、国内政策では国粋主義的な大日本協会や国民協会から自由民権運動の中でも急進派である東洋自由党まで幅広い勢力を含んでいたために、政府あるいは衆議院第1党の自由党あるいは後に同党と伊藤博文系官僚勢力が合同した立憲政友会に対する批判でしか一致をみなかった。実際にこの勢力の主流は後の猶興会(のちの又新会)・進歩党・憲政本党・立憲国民党・憲政会と続く「反自由党」・「反政友会」の第2党勢力の母胎となっていくのである。
※この「第二勢力」の解説は、「対外硬」の解説の一部です。
「第二勢力」を含む「対外硬」の記事については、「対外硬」の概要を参照ください。
- 第二勢力のページへのリンク