「自白」に至る経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:35 UTC 版)
第12回・第13回公判やその後に語った輿掛の言葉によれば、不利益供述に至る過程は以下のようなものであった。ちなみに、逮捕から「自白」に至るまでの取り調べおよび食事の状況は下表の通りであった。 取り調べ時間食事1月14日逮捕当日15:30 - 23:00 昼:×夕:× 1月15日9:30 - 21:35 朝:牛乳昼:弁当夕:× 1月16日8:50 - 22:20 朝:×昼:×夕:× 1月17日9:50 - 22:50 朝:パン・牛乳昼:×夕:× 1月18日「自白」 朝:× 逮捕当日、窓側の席に座らされ、換気のためと称して窓を開けられて1月の寒風にさらされる状態で取り調べを受け、風邪をひいてしまった。薬が欲しいと言ったが拒絶され、医者にも診せてもらえず、長時間の取り調べが連日続いた。台所に横たわる被害者の遺体の写真を見せられ、「お前がこうしたんだ」「どうやって入って、どうやって殺したんだ」と追及されたこともあった。何度「酒を飲んで寝ていた」と言っても取り合ってもらえず、自衛隊時代の飲酒運転での事故や年末の暴行事件などを例に出されて「自衛隊時代の先輩にも話を聞いたが、輿掛は酔っ払うと分からなくなると言っていた」「高校時代の恋人も、酒を飲んで首を絞められるようにセックスされたが輿掛は翌日覚えていなかったことがあったと言っている」「新聞に載っている以外に203号室からはお前の指紋も毛髪も出ている」「お前は酔っ払って覚えていないだけで隣の部屋へ行っているのは間違いないんだ」などと言われ、次第に自分でもそうなのかもしれないと思うようになっていった。 さらに、風邪で食欲もなく意識も朦朧とする中で、「家族もどうなっているかわからんぞ」と言われ、逮捕当日に母親に会えないまま連行されたことや連行時に押し寄せる報道陣に恐怖を感じたことを思い出し、家族のことが心配になった。1月18日の朝、家族に会わせてほしいと涙ながらに懇願すると、「分かった。しかし、お前の言うことを聞いてやるから、お前もこっちの言うことを聞け」と言われた。そしてまた「どうやって入って、どうやって殺したんだ」と聞かれて答えられずにいると、「じゃあ、どうやって出たんだ」と聞かれ、とっさに「玄関から出た」と答えてしまった。その発言をもとに「玄関から出て部屋に戻った」「自分がやったことは間違いありません」という供述調書を作られて署名・指印させられた。その日の午後に母と長姉との面会を許され、医師の診察を受けて薬をもらえた。 裁判が始まり、T警部補らが「新しい傷だった」など嘘ばかり言うので腹が立ったが、そのたびに弁護人の席に目をやると、いつも手前側に座る徳田弁護士と目が合って頷いてくれるので、「先生たちは分かってくれている」とだんだんと信頼できるようになった。また、T警部補らの証言の矛盾や科警研の毛髪鑑定のあいまいさを追及する両弁護士を頼もしく感じるようになった。そして、第10回公判で徳田弁護士は、警察があったと言った指紋もないという。指紋も毛髪も出ていると言われていたが、そうではないとすると、警察に騙されて行ったような気になっていただけで、やはり本当は隣の部屋には行っていなかったんだと思うようになった。ただ、裁判の初めに「隣の部屋にいた記憶はある」と言ってしまったので、今さらそうではないと言ってもいいのだろうかとしばらく悩んだ。そして、第12回の公判の前に古田弁護士に自分としての事実を話した。しかし公判では、いつも温厚な徳田弁護士にいつもと違う強い口調で「隣の部屋にいたことは覚えているんでしょう?」と問われたため困惑したものの、徳田先生には何か考えがあってのことだろうと思ったので「はい」と答えた。しかし、第13回公判の前に両弁護士から「記憶の通り話せばいい」と言われたので、第13回公判からは自信を持って記憶の通りを話すことにした。
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