番組構成の変遷
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番組オープニングでは1996年まで年始のあいさつの後に『一月一日』(作詞:千家尊福、作曲:上真行)のオープニングバージョンが流れ番組タイトルと出演者紹介ロールを出していたが1997年では同曲のOPバージョンが流れ、司会者(1997年のみ審査員)の紹介ナレーションの後、別に年始のあいさつ・番組タイトル・出演者紹介ロールを出していた。2000年では同曲のOPバージョンが流れ番組タイトル・司会者の紹介ナレーションの後、年始のあいさつを行い別に番組冒頭で出演者紹介ロールを出していた。2003年からは同曲のOPバージョンが流れ番組タイトル・出演者紹介ロールを経て司会者の紹介ナレーションの後、年始のあいさつをする形になった。 1984年までは副キャプテン格であるザ・ドリフターズ(1985年では少年隊・男闘呼組)のメンバーが獅子舞の演舞を行っているところから番組がスタートし一通り演技を終えた後に西軍のいかりや長介・高木ブーと東軍の加藤茶・仲本工事・志村けんが一悶着を起こし、そこに仲裁に入る形で司会の高橋・芳村、キャプテンの植木等・ハナ肇が登場するというパターンが恒例化していた。その一悶着も当初は単に口論だけだったがやがて平手打ちや殴り合いとエスカレートしていき、しまいには「もうやめようよ」と言いながら「こういうことするのはさ」と言って平手打ちをしたり殴り合いしていく様となった。 1989年のOPは初の紅白戦ということもあって、間奏の部分にハイライトシーンを挿入する構成となっていた。昭和天皇の病状悪化による自粛ムードのためOP・ED共同曲はBGMのみで歌は歌われず、OPは露木茂のナレーションを被せて放送された。OP・ED共同曲『一月一日』は、1980年代中盤まではEDのみ全出演者で歌っていたが、1980年後期(1989年を除く)以降はOPでも全出演者で歌う様に変更された。 2006年は実際にOP部分の収録があり実際の本放送では放送されなかったが、2007年ではOP部分が復活された。出演者に関しては演目のみ部分出演者のロールを流した。 かつては司会者が番組の開始時より既に審査員席の下部にある階段の前に「板付き」の状態のまま登場していたが、2000年から司会者の紹介の時に各チームの得点盤の前の階段から登場している。 審査員紹介は2002年大会まではあったが、2003年以降はなくなった。ただし、1997年に限ってはOPで司会者の紹介を行った後に審査員の紹介を行った。 1970年代 - 1982年までは番組内でスクールメイツによる応援合戦があった。ここでは前年のヒット曲の替え歌を応援歌として歌っていた(例外もあり)。合戦では替え歌の元歌を歌った歌手も参加するが、原則として自分では歌わず台詞もない。1983年からは廃止され、その代わりに第1部アバンタイトルでスクールメイツによる「マスゲーム」が登場、一方の応援歌は、1986年・1987年のおニャン子クラブによる双方の応援歌(前者は『セーラー服を脱がさないで』の替え歌、後者は『お先に失礼』の替え歌)が最後となった。 1990年代までは1回戦毎に各チームの出し物の紹介の後、各チームの出し物、審査員の感想の後に各チームの得点を出す形だった。1997年以降は各チームの出し物の紹介の後に先攻チームの出し物、審査員の感想の後に得点を出した後、後攻チームでも同様のことを行っている。 EDの総合得点発表では両軍同時に発表されたが(1998年から2000年に関しては各チーム毎の総合得点を出す形だった)現在は両軍同時に発表する形になり、発表時のBGMは1999年の頃と未だに変わっていない。 その後の優勝杯授与と『一月一日』のEDバージョンが流れるが、2003年では間奏をカットしている。 2003年から曲の後奏部分で提供クレジットを出したり2004年と2005年は優勝杯授与からスタッフロールを出し、同曲のEDバージョンの短縮版で終了している。但し、1998年に関しては各チームキャプテンの感想の途中で提供クレジットを出した。 スタジオセットは左側西軍(紅組・ヤングチーム)出演者席・中側審査員席・右側東軍(白組・アダルトチーム)出演者席だったが、1997年だけは左側審査員席・右側出演者席で誰が紅組・白組の出演者なのか分からなかったため1998年以後は元に戻った。2004年のEDでは「テーブルクロス引き」があったためセットを片さず、誰が西軍・東軍の出演者なのか分からなくなってしまった。 審査員席や得点表示機がある中央側のセットは、正月仕様にしているものの、1980年代まではシンプルだったが、1990年代からは一転して派手になり、また1990年(午年)では「両脇に1頭ずつのウマ」、1991年(未年)では「得点表示機の間にヒツジ」、1992年(申年)では「表示機の上に赤扇子と白扇子を持ったサル」、1993年(酉年)では「両脇にニワトリ」などの様に、可動式の干支のセットが備えられる様になった。 審査員席は1997年から2003年の大会までは生演目の際にゴンドラを上昇していたが、それ以外はそのままだった。 出し物の映像を映し出すモニターは、1990年代前期までは両軍の出演者席前に設けられていたが、同年代後期からは得点表示機の間に設けられた。 得点表示機は1985年までは審査員席の上に出し物用の得点表示機(2桁)、その上に合計得点用の巨大得点表示機(3桁)という構成だったが、1986年からは出し物用表示機を廃止し合計得点表示機で出し物の得点を出すようにして、それまで行っていた「現時点での合計得点」は総合得点発表などの時に行うようにしたが、2006年から2008年は視聴者のみ「現時点での合計得点」を表示(2006年のみ最終対決まで表示、以降は最終対決の前まで表示)した。なお得点表示機の表示形式は、『クイズグランプリ』・『ものまね王座決定戦』・『オールスター紅白大運動会』などのフジテレビ番組で使用された表示を使用したが、1986年大会より7セグ式に変更、以後最終大会まで7セグ式を使用した。 1986年から司会者が高橋圭三から逸見政孝に交代したことを機に、司会者などのマイクがマイクキャップ付き(当時は「夜のヒットスタジオ」や「クイズ・ドレミファドン!」など見かけたが、現在は「FNS27時間テレビ」「ものまね紅白歌合戦」などの特番で見られる)に変更された。
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