番組構成の変遷とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 番組構成の変遷の意味・解説 

番組構成の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 02:53 UTC 版)

新春かくし芸大会」の記事における「番組構成の変遷」の解説

番組オープニングでは1996年まで年始のあいさつの後に『一月一日』(作詞千家尊福作曲上真行)のオープニングバージョンが流れ番組タイトル出演者紹介ロール出していたが1997年では同曲のOPバージョン流れ司会者1997年のみ審査員)の紹介ナレーションの後、別に年始のあいさつ番組タイトル・出演者紹介ロール出していた。2000年では同曲のOPバージョン流れ番組タイトル司会者紹介ナレーションの後、年始のあいさつ行い別に番組冒頭出演者紹介ロール出していた。2003年からは同曲のOPバージョン流れ番組タイトル・出演者紹介ロール経て司会者紹介ナレーションの後、年始のあいさつをする形になった1984年までは副キャプテン格であるザ・ドリフターズ1985年では少年隊男闘呼組)のメンバー獅子舞演舞行っているところから番組スタートし一通り演技終えた後に西軍いかりや長介高木ブー東軍加藤茶仲本工事志村けん一悶着起こし、そこに仲裁に入る形で司会高橋・芳キャプテン植木等ハナ肇登場するというパターン恒例化していた。その一悶着当初は単に口論けだったがやがて平手打ち殴り合いエスカレートしていき、しまいには「もうやめようよ」と言いながら「こういうことするのはさ」と言って平手打ちをしたり殴り合いしていく様となった1989年OPは初の紅白戦ということもあって、間奏部分にハイライトシーンを挿入する構成となっていた。昭和天皇病状悪化による自粛ムードのためOPED共同曲はBGMのみで歌は歌われず、OP露木茂ナレーション被せ放送された。OPED共同曲『一月一日』は、1980年代中盤まではEDのみ全出演者歌っていたが、1980年後期1989年を除く)以降OPでも全出演者で歌う様に変更された。 2006年実際にOP部分収録があり実際本放送では放送されなかったが、2007年ではOP部分復活された。出演者に関して演目のみ部分出演者ロール流したかつては司会者番組開始時より既に審査員席の下部にある階段前に板付き」の状態のまま登場していたが、2000年から司会者紹介時にチームの得点盤の前の階段から登場している。 審査員紹介2002年大会まではあったが、2003年以降なくなった。ただし、1997年限ってOP司会者紹介行った後に審査員紹介行った1970年代 - 1982年まで番組内スクールメイツによる応援合戦があった。ここでは前年ヒット曲替え歌応援歌として歌っていた(例外もあり)。合戦では替え歌元歌歌った歌手参加するが、原則として自分では歌わず台詞もない。1983年からは廃止されその代わり第1部アバンタイトルスクールメイツによる「マスゲーム」が登場一方応援歌は、1986年・1987年おニャン子クラブによる双方応援歌前者は『セーラー服を脱がさないで』の替え歌後者は『お先に失礼』の替え歌)が最後となった1990年代まで1回戦毎にチーム出し物紹介の後、各チーム出し物審査員感想の後に各チームの得点を出す形だった。1997年以降は各チーム出し物紹介の後に先攻チーム出し物審査員感想の後に得点出した後、後攻チームでも同様のことを行っている。 ED総合得点発表では両軍同時に発表されたが(1998年から2000年に関しては各チーム毎の総合得点を出す形だった)現在は両軍同時に発表する形になり、発表時のBGM1999年の頃と未だに変わっていない。 その後優勝杯授与と『一月一日』のEDバージョン流れるが、2003年では間奏カットしている。 2003年から曲の後奏部分提供クレジット出した2004年2005年優勝杯授与からスタッフロール出し、同曲のEDバージョン短縮版終了している。但し、1998年に関しては各チームキャプテン感想途中で提供クレジット出したスタジオセット左側西軍紅組・ヤングチーム)出演者席・中側審査員席・右側東軍白組・アダルトチーム)出演者席だったが、1997年だけは左側審査員席・右側出演者席で誰が紅組・白組出演者なのか分からなかったため1998年以後元に戻った2004年EDでは「テーブルクロス引き」があったためセットを片さず、誰が西軍東軍出演者なのか分からなくなってしまった。 審査員席や得点表示機がある中央側のセットは、正月仕様にしているものの、1980年代までシンプルだったが、1990年代からは一転して派手になり、また1990年午年)では「両脇に1頭ずつのウマ」、1991年未年)では「得点表示機の間にヒツジ」、1992年申年)では「表示の上に赤扇子白扇子を持ったサル」、1993年酉年)では「両脇ニワトリ」などの様に、可動式干支セット備えられる様になった。 審査員席は1997年から2003年大会までは生演目の際にゴンドラ上昇していたが、それ以外そのままだった。 出し物映像映し出すモニターは、1990年代前期までは両軍出演者前に設けられていたが、同年代後期からは得点表示機の間に設けられた。 得点表示機は1985年までは審査員の上出し物用の得点表示機(2)、その上に合計得点用の巨大得点表示機(3)という構成だったが、1986年からは出し物表示機を廃止し合計得点表示機で出し物得点を出すようにして、それまで行っていた「現時点での合計得点」は総合得点発表などの時に行うようにしたが、2006年から2008年視聴者のみ「現時点での合計得点」を表示2006年のみ最終対決まで表示以降最終対決の前まで表示)した。なお得表示機の表示形式は、『クイズグランプリ』・『ものまね王座決定戦』・『オールスター紅白大運動会』などのフジテレビ番組使用され表示使用したが、1986年大会より7セグ式に変更以後最終大会まで7セグ式を使用した1986年から司会者高橋圭三から逸見政孝交代したことを機に司会者などマイクがマイクキャップ付き当時は「夜のヒットスタジオ」や「クイズ・ドレミファドン!」など見かけたが、現在は「FNS27時間テレビ」「ものまね紅白歌合戦」などの特番見られる)に変更された。

※この「番組構成の変遷」の解説は、「新春かくし芸大会」の解説の一部です。
「番組構成の変遷」を含む「新春かくし芸大会」の記事については、「新春かくし芸大会」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「番組構成の変遷」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「番組構成の変遷」の関連用語

番組構成の変遷のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



番組構成の変遷のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの新春かくし芸大会 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS