番組構成・セット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:46 UTC 版)
ランキングは、当時世界各国の国際空港で出発・到着案内として用いられていた反転フラップ式案内表示機(正式英名ソラリーボード)をヒントに考案された「ランキングボード」を使って発表された。左側に前週の総合ベストテンの順位(オレンジ色で表示)、右側に今週の総合ベストテンの順位を表示(白色)し、10位から順番に発表する。「今週の第○位」という司会者の掛け声にあわせ、ティンパニーロールと同時に曲名と歌手名部分が回転、数秒遅れて得点部分が回転する。そして、先週からの変動と、曲名と、歌手と得点を読み上げた。次の順位が欠席の場合あるいは二組一緒にミラーゲートから出てくる場合は欠席時と同じ「ジャン!」という短いジングルに続いてティンパニロールが再開。同じようにランキングを発表していた。このランキングボードは、プロデューサー・演出の山田修爾が実際に羽田空港で見た案内表示板をヒントにして作製された。 歌手が登場する際は、オーケストラの演奏(10 - 2位と1位では登場音色が多少異なる)をバックに「ミラーゲート」を通って登場。1位の歌手がスタジオに出演した際、くす玉割りや様々なプレゼントをスタッフが用意することもあった。くす玉割りの紐は当初は司会者が引っ張っていたが、後期は1位を獲得した歌手が直接引っ張り、大量の紙吹雪、風船、紙テープの舞う中祝福した。番組初登場となる歌手は必ず白紙の本にサインを書いていた(中継となった場合はもちろんその場で書いた他、同一歌手が別名義で初登場となった場合も改めてサインを書いていた。生放送を欠席となっても仕事先からコメントVTRを送った歌手がその場で書いたケースもある。石原裕次郎・美空ひばりは本人の没後にランクインしたため、生前署名用に書いたサインを所属事務所から提供された。司会者の場合は、黒柳と久米が最初の1ページ目に相合傘を、その後は久米が降板時に、黒柳が終了時にそれぞれサインを書いたのみ)。 スタジオでの歌の演奏は、基本的にオーケストラによる生演奏であったが、末期はカラオケになることが多かった。スタジオの構成は、『大きなスタジオの真ん中に司会者・歌手が待機するソファーがあるスペース(以下、ゲスト席)とミラーゲート・ランキングボード』、『オーケストラセット』、『大掛かりなセット』というものであった。セットの配置は『オーケストラセット』を正面に見て右側に『ミラーゲート』と『ゲスト席とランキングボード』、左側に『大掛かりなセット』という配置が終了まで続いたが、1978年4月6日の第13回放送までは異なっており『オーケストラセット』の両側が逆の配置となっていた。『ゲスト席』の配置も異なり『ランキングボード』は左側、『ミラーゲート』は『オーケストラセット』に近い右側に設置されており、『ミラーゲート』から出てきた歌手が司会者とトーク無しでランキング発表からそのままオーケストラセットに移動して歌う演出があったが、その翌週からの配置変更でこの演出もなくなり、「発表・ミラーゲートから登場→司会者とのトーク→曲披露」という流れに定着した。 第4位までの発表が終わると週によりランキング外の1・2曲をピックアップして「今週のスポットライト」というコーナーで紹介した。11 - 20位の曲もVTRで紹介され、出演者が少ない時には30位や50位からの発表もあった。 ベストテン圏外の曲は、20位から11位の順に紹介する。それと共に、過去4週の順位も折れ線グラフ(初期はなかった)で表示される。但し、時間がない場合はボードのみでの紹介となる(末期は、この形が非常に多かった)。それに対して黒柳が、初登場の曲に対しては「確実に上向きです」もしくは「一直線です」少しずつ上昇気味の曲に対しては「○○さん、お待ちしています」先週、10位以内だった曲に対しては「先週●位でしたのに…」順位が先週と同じ曲に対しては「●位の所で足踏みです」10位以内に入って、なおかつ少しずつ下降気味の曲に対しては「○○さん、お元気でしょうか」最高位が11位程度の下降気味の曲に対しては「お待ちしていましたのに…」変動が激しい曲に対しては「ジグザグです」等とコメントするのがお決まりとなっていた。 ただし、50位~31位を紹介する時は、オープニングの演奏と共に曲と顔写真のパネルを表示するだけで、折れ線グラフも、得点の表示もなかった。 1980年代後半にはグループのメンバーの一部が別行動している際には、そのメンバーを他のメンバーがいる中継先の映像にビデオ合成するということも行われた。この時期になると歌手がミュージック・ビデオを作成しプロモーションに使うことが一般的になってきたが本番組では「木曜9時の放送時間に歌ってもらう」ということが番組のコンセプト(そのための追っかけ中継)であったため出演できない歌手のミュージック・ビデオを放送するという代替措置は原則としてなかったが、複数回ランキング入りした曲では欠席した際に過去の週の出演映像を流すことがあり、VTRには放送日のテロップを入れていた。 番組の最後には、出演者全員(中継先の1つが参加する場合もある)で集合写真を撮影し、その写真(番組中期以降は写真をジグソーパズルにしたもの)を番組宛てにリクエストはがきを送った視聴者に毎週抽選でプレゼントしたり、番組内でリクエストはがきが採用された視聴者には無条件でプレゼントするのが恒例だった。「ハイポーズ」の掛け声は主に第1位を獲得した歌手に振る事が多かった(男性司会者の降板など例外もある)。上記のサインと記念写真は黒柳が番組内で時折「老後の楽しみ」と発言していた。なお、200回と番組終了時にこれらの集合写真・初登場時のサインを本にまとめ、国立国会図書館および各都道府県立の図書館に寄贈した。ネットした各放送局も所蔵しているが、開局記念イベント等以外は非公開となっている。初回から第6回は集合写真を撮る演出がなく、この2冊で当該回は出演者全員を映した引きのカメラ映像を代わりに掲載している。 番組スポンサーに関しては全社名読み上げの形式で、開始当初は3社(日立製作所が180秒、キリンビールとヱスビー食品が90秒ずつ)だったが、1981年10月に4社に増え(日立が90秒に縮小し、残りの90秒に花王が参入)、1985年10月にはヱスビーが降板して日産自動車に交代、1987年10月から終了までは花王が120秒に拡大し、日立・キリン・日産が60秒に縮小して空いた60秒にはロッテが加わった。終了時点のスポンサー5社は後述の通り『音楽派トゥギャザー』へ移動している。
※この「番組構成・セット」の解説は、「ザ・ベストテン」の解説の一部です。
「番組構成・セット」を含む「ザ・ベストテン」の記事については、「ザ・ベストテン」の概要を参照ください。
- 番組構成・セットのページへのリンク