王族関連
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オルレアン公フィリップ エピソード1に登場。自ら「フィリップ平等公(エガリア)」を名乗るが、ルイ16世亡き後は自身の出番だとマリー・クリスティーヌが青ざめるほどの野心を持っている。 ルイ16世 エピソード2 - 5に登場。本編同様、エピソード2では王太子時でのパリ訪問。エピソード3はマリー・テレーズの会話のみ。エピソード4ではヴァレンヌ事件後にパリへ移動時にかなり小さく登場。エピソード5、エピソード7ではフランスの戴冠式時に登場する。 マリー・テレーズ エピソード3に登場。表紙が彼女単独になっている。アントワネットの刑死により1人残されてタンプル塔に投獄されていたが、母の死の2年後に人質交換でオーストリアに引き取られ、数年後にフェルゼンと再会するも誰かはわからなかった。フェルゼンが評して曰く、出会った当時のアントワネットに瓜二つの美貌。 ルイ・シャルル エピソード3に登場。回想シーンのみの登場。父ルイ16世の死後、母アントワネットや姉マリー・テレーズと引き離されるシーンが再び描かれた。 エリザベート内親王 本編では「エリザベス内親王」とされた。エピソード3ではマリー・テレーズの回想で死が語られる中で名前を呼ばれただけだが、史実通りに「エリザベート」に変更された。マリー・テレーズがオーストリアに送られる前の年に処刑された。 フランツ2世 エピソード3に登場。オーストリア国王。マリア・テレジア亡き後の皇帝ヨーゼフ2世の弟レオポルト2世の息子で、アントワネットの甥でマリー・テレーズの従兄弟である。マリー・テレーズ解放のために人質と交換する役目を果たす。オーストリア滞在時のマリー・テレーズにドレスを贈っている。フェルゼンとの対面前に顔を出す。 グスタフ4世 エピソード3に登場。スウェーデン国王。グスタフ3世暗殺後に13歳で即位した若き国王。摂政団の一員であるグスタフ4世の叔父カール・ヨハンはフェルゼン家を良く思っていなかったが、後にフェルゼンと対面してオーストリア大使に任命する。父グスタフ3世の力であったフェルゼンに助けて欲しいと告げた。しかし、ロシアとの戦争に敗れて以来、精神を病んでしまいフェルゼンや側近の諫言も効果が無くなってしまう。1809年3月、失政が原因で起こったクーデターにより幽閉され、王子グスタフ(グスタフ・フォン・ホルシュタイン=ゴットルプ)の継承権も否定されて廃太子とされ、王妃や他の子供らとも引き裂かれた。追放後、貧困の中で欧州諸国を放浪した末に精神に異常を来し、スイスのザンクト・ガレンのホテルで脳卒中で没する。 アルトア伯 エピソード4で名前だけが出ており、未だにパリに残留するジャルジェ将軍を見かけて脱出を進めた際、既に主だった貴族共々に亡命していることがアランの口より語られた。エピソード8では後に暗殺されたマラーと関係があることが語られた。 マリア・テレジア エピソード6に登場。オーストリアの女帝。アントワネットの母。15歳の皇女時代が描かれ、周辺諸国の野心の標的にされる。幼い頃からフランツに恋しており、当時の王侯貴族としては奇跡に近い恋愛結婚で結ばれることになる。当初、婚約者とされたクレメンスは健康で利発で美しい王子と評判だったが、年が離れていてフランツに恋心を抱いていたこともあり彼の兄クレメンスとの結婚を望んではいなかった。1994年に同筆者が描いた、エカテリーナ2世からは恵まれた恋愛、王位継承、子宝などで嫉妬に近い感情を抱かれていた。父カール6世の死後、勃発したオーストリア継承戦争で一歩も譲歩することなくプロイセンと断固戦う決意を固めており、オーストリア軍の脆弱さを知るフランツが条件次第では和睦を考え、交渉の場で少しでも譲歩しそうになると介入した。 フランソワ・ステファン・ド・ロレーヌ エピソード6に登場する。ロレーヌ公国の第2王子。アントワネットの父。陽気で親しみやすい性格で、卓越した財政の才能を有している。再従兄妹(はとこ)の幼馴染マリア・テレジアとはお互いに好意を持っており、彼女にはフランツと呼ばれる。マリア・テレジアの父である父方の従伯父・神聖ローマ皇帝カール6世のお気に入りでもあった。兄クレメンスの急死と後を追うように父が亡くなったことにより、ロレーヌ公になる。フランスがマリア・テレジアとの結婚を認める代償にと、領地をルイ15世の舅に譲渡させられた。結婚後、相思相愛の恋愛結婚とはいえ妻の家臣やオーストリア国民からは添え物扱いで侮蔑され、男児誕生を望む臣民の期待に反して女児ばかりなのは夫の所為だと非難され、その他数え切れない嫌がらせを受けるという屈辱の人生を送ることになる。しかし、徐々に寛大で陽気な人柄の良さに気づいた臣民に慕われるようになり、ルイ15世に故国と引き換えに押しつけられた赤貧国家トスカーナ大公国の財政改革を行ってオーストリアを支える金庫とし、カール6世の残した借金を清算した上で戦費と国債の発行における保証人になれるほど莫大な財産を作りオーストリアを支えた。1765年8月18日の夕刻、急死した際には悲しむ人々が葬儀に参列した。自身は知らぬことながら、その名がオスカルのミドルネームに付けられた。 ルイ15世 エピソード6に登場するが、強国ゆえにロレーヌ公国がオーストリアの手に渡るのを嫌悪し、ロレーヌ公フランソワとオーストリアのマリア・テレジアの結婚を認める代わりにロレーヌ公国の統治権を自身の正妃の父であるポーランド国王に譲渡させる条件を押しつけた。ロレーヌがオーストリア・ハプスブルク家の所領になれば欧州の均衡が崩れるばかりかフランスとロレーヌの戦争にもなり、どうしても結婚したければ条件を呑めとレニエを通じて迫った。その代償としてフランソワに大公国とは名ばかりのトスカーナ大公国の君主の座を与えた。名家であるジャルジェ家の当主の妻に異国の貧乏貴族の娘などとんでもないと最初は結婚の許可を求めるレニエにジョルジェットとの結婚を許さず別の良い縁談を探そうとしたが、ルイ13世の宮廷画家を務めたラ・トゥールの曾孫だと知り結婚を許した。 カール13世 グスタフ4世の叔父で、彼に代わるスウェーデンの新たな国王となった。しかし、60歳を過ぎた高齢であり病弱で世継ぎとなる男児がいなかったのでデンマークより皇太子カール・アウグストを迎えるが、軍事演習中の落馬事故で失う。新たにナポレオン麾下のベルナドット将軍を摂政王太子とする。
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