フランソワ・ステファン・ド・ロレーヌとは? わかりやすく解説

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フランソワ・ステファン・ド・ロレーヌ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 15:12 UTC 版)

ベルサイユのばら」の記事における「フランソワ・ステファン・ド・ロレーヌ」の解説

エピソード6登場するロレーヌ公国の第2王子アントワネットの父。陽気で親しみやすい性格で、卓越した財政才能有している。再従兄妹(はとこ)の幼馴染マリア・テレジアとはお互いに好意持っており、彼女にフランツ呼ばれるマリア・テレジアの父である父方従伯父神聖ローマ皇帝カール6世お気に入りでもあった。兄クレメンス急死後を追うように父が亡くなったことにより、ロレーヌ公になる。フランスマリア・テレジアとの結婚認め代償にと、領地ルイ15世の舅に譲渡させられた。結婚後、相思相愛恋愛結婚とはいえ妻の家臣オーストリア国民からは添え物扱い侮蔑され、男児誕生を望む臣民期待反して女児ばかりなのは夫の所為だと非難され、その他数え切れない嫌がらせを受けるという屈辱人生を送ることになる。しかし、徐々に寛大陽気な人柄良さに気づいた臣民慕われるようになり、ルイ15世故国引き換え押しつけられた赤貧国家トスカーナ大公国財政改革行ってオーストリア支え金庫とし、カール6世残した借金清算した上で戦費国債発行における保証人になれるほど莫大な財産作りオーストリア支えた1765年8月18日夕刻急死した際には悲しむ人々が葬儀参列した自身知らぬことながら、その名がオスカルミドルネームに付けられた。

※この「フランソワ・ステファン・ド・ロレーヌ」の解説は、「ベルサイユのばら」の解説の一部です。
「フランソワ・ステファン・ド・ロレーヌ」を含む「ベルサイユのばら」の記事については、「ベルサイユのばら」の概要を参照ください。

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