フランソワ・ステファン・ド・ロレーヌ
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「ベルサイユのばら」の記事における「フランソワ・ステファン・ド・ロレーヌ」の解説
エピソード6に登場する。ロレーヌ公国の第2王子。アントワネットの父。陽気で親しみやすい性格で、卓越した財政の才能を有している。再従兄妹(はとこ)の幼馴染マリア・テレジアとはお互いに好意を持っており、彼女にはフランツと呼ばれる。マリア・テレジアの父である父方の従伯父・神聖ローマ皇帝カール6世のお気に入りでもあった。兄クレメンスの急死と後を追うように父が亡くなったことにより、ロレーヌ公になる。フランスがマリア・テレジアとの結婚を認める代償にと、領地をルイ15世の舅に譲渡させられた。結婚後、相思相愛の恋愛結婚とはいえ妻の家臣やオーストリア国民からは添え物扱いで侮蔑され、男児誕生を望む臣民の期待に反して女児ばかりなのは夫の所為だと非難され、その他数え切れない嫌がらせを受けるという屈辱の人生を送ることになる。しかし、徐々に寛大で陽気な人柄の良さに気づいた臣民に慕われるようになり、ルイ15世に故国と引き換えに押しつけられた赤貧国家トスカーナ大公国の財政改革を行ってオーストリアを支える金庫とし、カール6世の残した借金を清算した上で戦費と国債の発行における保証人になれるほど莫大な財産を作りオーストリアを支えた。1765年8月18日の夕刻、急死した際には悲しむ人々が葬儀に参列した。自身は知らぬことながら、その名がオスカルのミドルネームに付けられた。
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