河川改修事業
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1918年、大沢野村から河口までの約20kmの川幅を広げ、両岸の護岸を統一的に見直す改修事業が開始され、予算や工期を見直す等して、1938年3月に完了した。。 かつての神通川は、富山の街の中を東に大きく蛇行し、河口が現在より西側に位置していた。戦国時代には神通川のすぐ脇に富山城が築城され天然の堀として利用された。この際、佐々成政によって洪水による流路変更を利用して富山城の北側に流れるよう流路を付け替えている。 しかし蛇行部分でたびたび水害が発生していたため、明治時代に、蛇行部分を短絡する分流路を作り、一定量を超える洪水は、新たに造った分流路(馳越線)に流れるようにした。しかし、洪水の度に、馳越線の方が本流のようになり、本来の本流には水が流れないようになってきたため、馳越線の方を本流とした。馳越線工事後の旧川については、水の流れを締切り、水が流れなくなった部分には1930年から建設が始まった富岩運河から出た大量の土砂で埋立て川幅を狭め、旧来の本流は松川と名を改めた。埋立地となった廃川敷には1936年には町名が設定がなされ、日満産業大博覧会の会場となるなど区画整理と土地利用が徐々に進み、県庁、市役所などの施設が建設されていった。 河口部分については、1928年3月に東岩瀬港(現・富山港)と分離され、現在の流路が確定した。 この事業では他にも、八尾町の中神通と西神通の輪中堤も整備された。
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河川改修事業
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国分川の河川改修事業は前述の真間川流域総合治水事業とともに開始され、その後の激特事業や都市小河川事業・都市基盤河川事業を経て2010年(平成22年)までに河口から国分川橋までの3.3kmの整備が完了した。下流部は毎秒35立方メートルの流量に対応できる構造としており、引き続き国分川水門までの河川整備が続けられている。一方松戸市内の整備については当時の一級河川指定区間が獅子舞橋までだったことや、国分川分水路の完成を待っていたこともあり着手が遅れていた。昭和末頃は台風で毎年のように被害を受けていたため、1982年(昭和57年)3月から1988年(昭和63年)3月にかけて復旧工事を繰り返しているが、効果は上がらなかった。その後分水路が完成し一級河川指定区間も延長されたが、通常は千葉県施行で河川整備を進めることになるはずが、県からの要請により松戸市施行で進める方針に決めていた。1994年(平成6年)度に下流部から都市小河川改修事業により河川拡幅(用地買収)・整備を開始し、2007年(平成19年)度まで続けられた。時間降雨量50mm対応・流下能力毎秒70立方メートルの計画で、鋼矢板仕切りだった両岸は自然土手になり、河川幅も3倍程度に広がった。 だが国分川上流部の拡幅工事期間中に、準用河川春木川で10数年ぶりに台風による水害が発生したことから、春木川区間についても河川整備が望まれるようになった。現に流下能力は国分川に対し著しく不足していたこともあり、2006年(平成18年)度に基本構想が策定され、黎明橋から高暮橋までの414mについて剣橋を境に1期・2期区間に位置付け、国分川上流部の改修が終わる2007年(平成19年)度に4か年事業で改修が始められた。2010年(平成22年)6月30日に完了し、引き続き高暮橋より武蔵野線橋梁までの416m区間について2011年(平成23年)度より改修が開始され、2014年(平成26年)度の完了予定で現在も続けられている。時間降雨量50mmに対応し、流下能力は改修前の毎秒7立方メートルから35立方メートルへと引き上げられている。 市川市内の春木川については全区間千葉県の管理下にある。国分川のバイパスでありながら、総合治水計画ではその機能を変え、国分川の洪水を分流させず自己流域のみを受け持つ河川となった。1995年(平成7年)の水害を契機に河口手前に水門と春木川排水機場の設置を激特事業で進めた(平成11年度完了)。また2005年(平成17年)度までを第1期整備区間として河口より曽谷橋まで河川整備が行われた。それに並行して1985年(昭和60年)策定の市川市雨水排水基本計画に基づき時間雨量50mmに対応する雨水幹線も整備が進んだ。引き続き2006年(平成18年)度より2014年(平成26年)度までを第2期整備区間として、曽谷橋より上流の河川整備と春雨橋より上流の護岸工事が現在も進められている。 支流の紙敷川については国分川の改修工事完了を受け、流域の関台・紙敷両土地区画整理事業の進捗に合わせて下流部より河川改修を行っている。だが関台土地区画整理事業からすると紙敷川は事業境界部に位置するため、改修費を組合負担としたことに対し組合側が2005年(平成17年)11月22日付で不当利得を請求し市側を提訴する事案があった(資金不足補填を狙ったものであり、結果組合側の敗訴)。
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河川改修事業
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「大根川 (みやま市)」の記事における「河川改修事業」の解説
大根川は中流域から下流域にかけて河川勾配が緩く、1990年(平成2年)7月2日の24時間連続雨量338mm(午前9時から79mm/時を記録)という豪雨によって引き起こされた災害(浸水個数1,121戸)をはじめ梅雨時期や台風時に浸水被害が度々あったことから1995年(平成7年)より大規模河川改修事業を行っている。1998年(平成10年)に大根川水門、2000年(平成12年)に大根川排水機場が完成。大根川水門は飯江川からの逆流を防ぐため作られた。改修事業全体は平成37年度完成予定。
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