河川整備事業開始に至るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/09 06:59 UTC 版)
「座生川」の記事における「河川整備事業開始に至るまで」の解説
座生川上流部はかつて現在の野田市駅付近まで開渠で周囲には水田が広がっていた。だが中下流部含め全体的に水はけが悪い低湿地であり、耕作が放棄されていた土地も多かった。下流部は野田市座生付近を現在の野田橋(埼玉県道・千葉県道19号越谷野田線)手前まで蛇行して江戸川(江戸川整備以前は埼玉県内まで流れて現在の大落古利根川)に注いでいたが、戦後の江戸川堤防整備によって旧排水機場が作られ、河口が上流へと移された。しかし当時の座生川排水機場は排水能力が弱く、加えて江戸川堤防も洪水に対応できていなかったため、古くから江戸川洪水による逆水被害を受け続けていた。昭和40年代以降は東武野田線沿線で宅地開発の動きが広がったが、その促進のため香橋より下流1,355mを準用河川に指定し、1980年(昭和55年)度に市事業による河川整備を開始した。ところが河川整備は急を要する課題となっており、費用負担の都合上進捗の遅い準用河川事業では対応できない状態であった。そのような中座生川流域の大半の土地を開発業者が買収し、一帯の開発計画が浮上。これを契機として野田市は一級河川への昇格を要望し、1988年(昭和63年)4月8日告示で座生川及び座生川支川が一級河川となった。 しかしこの一級河川指定は国による指定条件付きであった。江戸川は直轄区間であるため、江戸川堤防に係る樋管の整備は建設省(当時)が行い、排水機場工事と香橋より下流の河川改修、及び新設する5か所の調整池整備は千葉県が行うこととされたが、香橋より上流3,425mの整備は最も受益者たりうる開発業者が行うべきだ、というものである。その際にNTT-A型資金(民間事業者が公共施設を整備する場合は、民間都市開発推進機構のNTT株式売却収益を活用した無利子の貸付により事業費用の一部を補填できるというもの)の活用を勧められたが、そのためには対象が民間事業者(第三セクター含む)でなければならないため、1988年(昭和63年)に野田市と区画整理に関与する開発業者5社(東武鉄道・日本地所・長谷工コーポレーション・熊谷組・佐藤工業)とで第三セクターの座生川開発株式会社(資本金1,000万円)を設立、野田市が過半数(52%)を出資し筆頭株主となった。
※この「河川整備事業開始に至るまで」の解説は、「座生川」の解説の一部です。
「河川整備事業開始に至るまで」を含む「座生川」の記事については、「座生川」の概要を参照ください。
- 河川整備事業開始に至るまでのページへのリンク