国分川分水路
国分川分水路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 20:32 UTC 版)
国分川では台風通過の度に流域で数百ha・数千戸もの家屋が浸水していた。流量自体が多いため、特に合流先の真間川流域では市街化の進行も著しく、松戸市内上流部から流出した洪水が数年に一度の割合で記録的水害を起こしていた。下流市街地では河道の拡幅にも限界があり、真間川の治水事業開始前から抜本的解決を図り対策が行われてきた。 国分川分水路は松戸市の和名ヶ谷にて国分川本川より分派し、同市上矢切で坂川へ接続する延長3,362m・流域面積19.4㎡の分水路であり、うち和名ヶ谷水門から上矢切水門までの2,555mがトンネル区間になっている。1973年(昭和48年)より松戸市が主体となり都市小河川改修事業として事業が開始され、1983年(昭和58年)までに用地取得と開削部の工事を行った。翌年より真間川流域総合治水事業に組み入れられ、千葉県主導でトンネル工事が進められた。1993年(平成5年)7月にトンネル部分の工事が完了。その後は水門や和名ヶ谷水路(国分川分水路と交差)の整備を行い、年度末にあたる1994年(平成6年)3月22日に通水を開始した。この国分川分水路工事の一環で坂川下流部1.8kmの改修工事、また坂川の江戸川合流地点にあたる柳原排水機場の改築工事が付随的に行われ、1997年(平成9年)度をもって全事業が完了した。 流下能力は毎秒100立方メートルの計画で建設され、従来市川市へ流出していた毎秒120立方メートルの大部分を受け持つこととなった。時間降雨量50mmに対応し、完成後は台風等の際にも国分川下流部及び真間川流域の浸水被害が激減しており、抜本的な治水対策として非常に貢献度が高い。なお国分川分水路は、国分川の一級河川指定区間延長と同時に全区間が一級河川に指定されている。 国分川(左)と国分川分水路(右)の分派点。越流堤で完全に仕切られており通常は本川の方を水が流れていく。 このように国分川分水路は今では絶大な効果を発揮しているが、トンネル区間の地上部は二十世紀が丘の住宅街(とちのき通り下)に位置し、また地質は未固結含水砂層で地盤沈下や斜面崩落の危険性もあり、NATM工法を採用するなど悪条件下での工事が続いていた。また工事期間中の台風上陸により、後述のような悲惨な事故も発生している。
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